ブログ記事のネタになることは自分が思っているよりも「広い」という話

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タノブロは2016年の02月19日で「丸9ヶ月」となりましたが、記事を書けば書くほどに「記事のネタになることは自分が思っているよりも広いな」と感じるんです。

アクセス解析ソフトの「流入キーワード」を見て「じゃあこういう記事もアリ?」とか、周りのブロガーさんの記事を読んで「そういう記事もアリなんだ」とか。

いつも「ネタが尽きたらどうしよう」という不安を抱えながらブログを運営しているんですが「ネタを探す目を鍛えれば」ネタが尽きることなどないのかもしれません。

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書くひとと読むひとでは「体勢」が違う

 

初めて自分のツイートを引用してみました。ちょっと恥ずかしいね。

記事を書くひと(この場合ぼく)と、記事を読むひと(この場合あなた)とでは「体勢」が違うのではないかと考えています。

書くひとは「全人類の心にヒットする記事」を書くというよりも「同じことを考えていたり同じことで悩んでいる誰かの心にヒットする記事」を書いている、という意識で記事を書きます。

 

つまり「的を絞っている」んですね。

それに対して「記事を読むひと」は少し違います。記事を読むひとは「面白そうだ(自分基準)と思った記事」を読みたいワケです。あなたは「面白そうだな」と思ったからこの記事を読んでいるのだと思います。マジ感謝。

この「面白そうだな」には多くの「種類」があります。

たとえば「笑える」とか「泣ける」とか「助かる」とか「役立つ」とか「悩みが解消される」とか「スカッとする」とか、場合によっては「ムカつく」という感情も「面白そうだな」に繋がっています。

これだけの感情が(あるいはもっともっと多くの感情が)あなたの「アンテナ」となり、どの記事を読み、またどの記事を読まないかを判断しているんです。

つまり読むひとのアンテナはかなり守備範囲が「広い」ことになります。

書くひとはテーマを絞り、読むひとはアンテナを広げているんです。

 

読むひとのニーズや表面化されていないニーズに対して、ファンネルを撃ち落とすアムロ君ばりのニュータイプ能力を発揮して「そこだ!」とピンポイントで記事を書くことは難しい。

でも「読むひとのアンテナは思いの外広い」ということを知っていると「もっと違うアプローチができるのではないか?」とか「このくだらないぼくの考えにも賛同してくれるひとがいるかもしれない」と考えられるようになり、書けるものの幅も広くなっていくことでしょう。

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