敗者になっても弱者にだけはなるなよ。

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考え事

まいど!黒井(@961373)です。

弱者にだけはなってはいけませんよ!

敗者と弱者の違いは、敗者が「挑戦して負けた者」であるのに対して、弱者は「ハナから諦めている者」であるということです。

ぼくは以前、弟に「お前みたいな負け組にはなりたくない」と言われました。しかし落ち込んだのはほんの一瞬で、すぐに「勝ち負けで考えちゃダメだ」と気付いたんです。

関連:勝ち負けでものを見た瞬間から「不幸」が始まるんですよ:お前みたいな負け組にはなりたくないと言われた話。

勝ち負けは自分ではコントロールすることができません。勝負に「絶対」はありませんからね。しかし強いか弱いかということは違います。

少なくとも「強く在ろうとする」ことや「諦めないぞ」と心構えをすることは、自分でコントロールすることができます。

だからこそ……

敗者になっても弱者にはなるな!!

と、イジメられっ子、コミュ障、対人恐怖症、社会不安障害、うつ病、中卒、ひきこもり、ニートとさんざんな肩書を持つぼくは、声を大に、大の大にして言いたいんです。

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負けるのは仕方ないけど「諦める」のは違うでしょ。

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敗者と弱者は雰囲気こそ似てますけど、その意味合いには決定的な違いがあります。

冒頭でも書いたとおり敗者が挑戦して負けた者であるのに対して弱者とは挑戦もせずいきなり負けを認めて諦めてしまった人なのです。

優しさとはけして「譲る」ことではない。

自己主張ができず、ワガママの言えないぼくは、幼いころから実にさまざまな勝負に敗れてきました。

家では「お兄ちゃんなんだからガマンしなさい」と言われ、ぼくの思い通りになったことなど一度たりともありません。

そのたび母が……

「あんたは優しい子だね」

と言ってくれるのです。ぼくにとってそれだけが救いでした。母が褒めてくれる。それならばガマンして弟に譲ってやろう。いまになって思えばえらく健気ですね。

しかし優しさとはけして譲ることではありませんよ。

ガマンして譲り、耐えてその場をしのごうとすることは優しさでも何でもありません。ただ自分に対して不誠実であるだけです。

誠実に「責任」を取ろうとするからそこに「自由」が生まれる。

大人になると自分のしたことの責任を自分で取らなくてはならなくなります。

それを自己責任といいますね。

ぼくはごく最近までこの「自己責任」という言葉がとても恐ろしかったのです。

なぜなら……

良い子にしていれば、主張をせずガマンしていれば、ママのいうことを聞いていれば、守ってもらえるのだと考えていたから。

しかし自己責任の本当の意味は違います。ただそこに自分で責任を取らなくてはならないというルールが存在しているのではありません。

自分の人生とよく向き合い、誠実に、自分の意志で責任を取ろうと考えたところには自由があるのです。

敗者はあがく。弱者は転嫁する。

敗者は自分で責任を取ることを前提にあがくものであります。それゆえ彼らは自己責任の上に立っています。

それに引き換え「弱者」とは、責任を取ろうとすることを諦め、自らの責任を「社会」や「国」に転嫁するかたちで放棄するものなのです。

こんな社会だからしょうがない。国がこれじゃあどうしようもない。ウチの会社はブラックなんだ。言い訳はいくらでもあります。完璧な社会も、国も、会社も存在しませんからね。

負けることは仕方がありません。そういうこともありますよ。しかし諦めるかどうかはあなたのさじ加減ひとつです。

自分の人生の責任を放棄し、諦めたあげく、自分を正当化して「それはしょうがなかったね」と言ってもらうための言い訳をしていませんか?

エジソンは諦めない。

トーマス・エジソンは諦めない人です。電球を発明するために1万回も失敗しました。それでもエジソンは諦めませんでした。

それどころかエジソンは……

私は失敗したことがない。

と言ったのです。

私は失敗したことがない。
ただ1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。

その結果、エジソンは世界でもっとも有名な発明者となり発明王と呼ばれるようになりました。諦めていたらどうだったんでしょうね。

ぼくはずっと「弱者」でした。

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先述したようにぼくは敗者であり、またそれにかまけた弱者でもありました。ぼくが少なくとも精神的に変化することができたのは、まぎれもなくこのブログのおかげです。

もしもこの記事を読んでドキリとしたり、あるいは何だコノヤロウと感じることがあったら、あなたも何か初めてみるといいカモしれません。

いきなり変わることはむずかしいけど、時間をかければ誰だって変われます。

生まれながらにして「諦めて」いる人なんていませんもの。生まれながらにして「責任転嫁」している人もいません。

ぼくは優しいお兄ちゃんからクラスのイジメられっ子となりひきこもりニートとなり、転がり落ち、諦め、自分の責任を放棄して弱者となりました。

その反対に弱者から反旗をひるがえし、変化して、どんなに小さなことでもチャレンジしていくことも可能なはずです。

とりあえず諦めない。

とりあえず働くとかとりあえず彼女がほしいとかとりあえず車を買おうなどさまざまなとりあえずがあるかろうと思います。

でもまずはとりあえず諦めないということを掲げましょうよ。

ぼくの大好きなロックバンド「アジアンカンフージェネレーション」「未だ見ぬ明日に」という楽曲に、こんな歌詞があります。

どんな悲しい最期が待ち受けていようとも
それを「希望」と呼ぼう

つねに受け身で、責任を放棄し、諦めてしまっている人には、この歌詞は出てきません。たとえ負けてしまうとしても、それを希望と呼んで挑みつづけましょうよ。

もちろん自分のペースでいいし、ムリもしない。でもとりあえず諦めないでいること。とりあえず未来に希望を持つこと。そうすればどのようなかたちであれ未来が約束されるのです。

それがどんな悲しい最期であったとしても。

現実に抗いましょう。

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コメント

  1. 勉強になりました。
    私は「弱者」とはてっきり「お年寄り」とか「子供を持つお母さん」とか「幼い子供」かと思っていました。
    「じゃあ、お年寄りでもないし結婚してもいない21歳の私は何なの!?」と内心叫んだことがありましたね。
    何もかも「もういいや」と卑屈になってる私も「弱者」なんでしょうね。