ぼくがオリンピックを「見ない」たった1つの理由を教えます。

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考え事

まいど、黒井(@961373)です。

ぼくは「オリンピック」のテレビ中継を見ません。オリンピックの再放送も見ません。だからオリンピックの時期はテレビそのものを見ないんですよ。

みんながこぞって見たがるものを見ても意味がないと思いませんか?

オリンピックやワールドカップの情報なんていうのは、わざわざ自分で見なくてもそれを見た他人から入ってきます。

またオリンピックのテレビ中継を熱心に見ている人は、それを見て感動するだけでなく「オリンピックを見たことを誰かに話したい」とも思っていますよね。

すると尚更に「自分で見る必要なんてない」ですよ。

ぼくはワケあって他人より「10年」遅れています。少なくともぼくはそう思って生きています。多少なり動けるようにはなりましたが、それでもぼくは1日に3時間ほどしか満足に動けません。

そのわずかな時間を「みんなと同じ」ように使っていては、ぼくはいつまで経っても成長することができない。ぼくは「みんなと同じところ」を通りすぎて、むしろ「みんなより10年先」まで生きたいんですよ。

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当たり前のことでは当たり前の結果しか出ない。

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当たり前のことでは当たり前の結果しか出ない。

これはSoftBankのCMに出てくる言葉です。みんなと同じことをしていては、みんなと同じにはなれてもそれ以上の人間になることはできません。

ぼくは「イジメ」と「うつ」でもう10年もの時間をムダ(というワケでもないんですけど)にしています。だからみんなと同じことをしていてはいけないんですよ。

まず追いつく。そして追い抜く。

ぼくの長期的な目標です。

いまでもぼくは1日のうち「3時間」くらいしかマトモに動けないので、みんなに追いつくことすらまだまだできていないなぁ、というのが正直なところなんですけどね。

しばらく休まずにブログを更新し続けていましたがそれも8月13日でストップしてしまいましたしね。まあ個人的には仕方のないことだったから良しとしていますが。

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ブログは「日々の積み重ね」でアクセスとファンが増えていくとぼくは考えており、そのためには「毎日更新はちょっとくらいしんどくてもやらなければならないこと」ですよ。

その上で「何をどんなふうに書くか」ということになります。そもそも「毎日できない」という人よりひとつ上のレベルにいるんです。

あなたにはあなたの「当たり前」があることでしょう。まずその当たり前から「一歩」踏み出してみません?

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ぼくは何者かになりたい。

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ぼくは何者かになりたいのです。大人になると「自分が何者かになることは不可能だ」ということに薄々気づき始めます。

でも、

それを理由にして他人に「お前が何者かになれるワケないじゃん」と言うべきではありませんよ。なぜならあたなはすでに「敗者」だからです。

なんやかんやと理由をつけて「やらない」ことを選択して逃げた人が「やる」人にとやかく言う権利なんてありませんよ。

「やらない人」とは「逃げた人」です。

ぼくも「逃げる」側の人間ですから、そういう人の気持ちはよく分かります。あなたが「やる人・やった人・やろうとしている人」にとやかく言いたくなる理由は、自分が挫折したことを他の誰かがクリアするのが許せないからですよ。

ああバカらし・・・

「ニートは働け」とか「うつは甘え」と言う人も同じです。

自分はこんなに「頑張って働いているのに」という主観から生じる「それなのにお前はズルい!」という子供じみた感情。それこそがあなたが人を罵倒したくなる理由ですよ。

小せえなぁ。

ぼくはつい数年前まで「そちら側」にいました。いまでも他人の活躍や充実を妬んで「ズルい」とか「なんだよコンチクショウ」という気持ちになることもあります。

でも、

それ、無意味ですよ?

結局のところ世の中には「やる人」と「やらない人」しかいません。そして未来には「やった人」と「やらなかった人」としてその差がハッキリと分かれます。

ぼくは怖がりで泣虫な「ザ・いじめられっ子」ですが、少しずつでも、1ミリでも前へ進みたい。誰かと同じではなく自分ならではの方法で。

たとえそれが失敗に終わっても、またやればいい。

人はだれでも今すぐに「やる人」になることができるんです。問題はその先。「やりつづける人」になること。

そうすれば必ず「何者か」になれるとぼくは信じています。

誰かと同じところに「あなたの幸せ」は落ちていませんよ。

あとがき

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「みんなと同じ」になりたいならオリンピックを見ればいい。ぼくはそれがイヤだから見ませんけどね。

本文中にも書きましたが日本人の「みんな同じじゃなきゃダメだ」という考え方や圧力には狂気じみた気配を感じます。

そこには「成功者」への恨みつらみや妬みがウズを巻いていて、変わり者を仲間はずれにしようとする日本人独特の冷たい暴力性がうかがえます。

ぼくはそういう日本人が大嫌いだし、自分だけはそうはならないぞとある種の覚悟を決め手生きています。それを思えばまだ「変わり者」のレッテルを貼られて疎外されることのほうがいいですよ。

「オリンピック見てないとかありえなーい」

ぼくからすれば「日本人としてオリンピックを見なければならない」なんていう同調圧力に負けて眠い目を擦りながら話題についていくためだけに興味のないオリンピックを見ている人たちのほうが、ありえない。

時間のムダですよ。ああもったいない。

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