自分を「解き放つ」ことでブログは「加速」する。

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ブログはストック型のメディアだ。

でも「ブログはストック型のメディアだ」ということを念頭においているせいで「記事の質」に目をとられているのでは良くない。

それはブログにおける「ストック」の意味を履き違えている。

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ストックの「量」について。

「記事の質」はもちろん重要だ。でもブログを成長させるうえでは「記事の量」のほうが大事。なぜなら「ブログはストック型のメディア」だから。

ぼくは「タノブロ」を立ち上げてからついこの間まで「ブログはストック型のメディア」だから「なるべく質の良いものをストックしていかなければならない」と考えていた。

そう考えるあまり「このネタは内容が薄いかなあ」とか「このテクニックはすでによく使われているものだしなあ」と記事にすることを見送る場合もあった。

これではもったいない!

自然に出た「もったいない」という言葉がとてもしっくりきた。

そうだ。もったいないじゃないか。

たとえそれが「既存の情報」だとしても「自分なりに記事にすること」は可能なのではないか? どんな情報でももったいぶらずに「ストック」していくことが大事なのではないか?

そう感じたのだ。

「イエス」のルールを作って記事の幅を広げる。

どんな情報でももったいぶらずに「ストック」していくことが大事なのではないかと考えたぼくは、以下のような「イエス」のルールを作った。

1. 書きたいことを書く
2. 書きたくないことは人気が出そうなものでも書かない
3. 既存のテクニックやノウハウであっても自分なりに書いてみる
4. 非常識的なことや自分に知識がないことでも自分の考えを書く
5. 本を読んだら1テーマずつに分けて記事を書く

「イエス」のルールを作ることで書くことに対するさまざまな「恐怖」が薄れた。

そのとき初めて「書くことにはさまざまな恐怖があるのだ」と分かった。

たとえば「自分のバカが読者にバレてしまうのではないか」ということや「ちょっと非常識的すぎるのではないか」ということ。

他にも「すでに出回っている情報じゃないか」などと「文句を言われやしないか」という恐怖があった。

上の「イエスのルール」を実践してみたことで、このような「恐怖」は少しずつではあるが「薄れていっている」と感じる。

「恐怖が薄れていく」のに反比例するカタチで「書きたいもの」「書けるもの」の幅が広がっていった。

だれに否定されても、これがぼくの意見だ。

「否定」されるのは怖い。とくにぼくのような「いじめられっ子」は「常に周囲の目を気にして警戒」する生き物だから、他人からの評価に敏感だ。

でもそれでは「個性」なんて「あってないようなもの」だし、自分の考えを好きなように表現することすらままならない。

自分の発言に一定の責任を持つことは当然だけど、それに気を取られて「あたりまえ」で「型通り」のことしか書けないというのなら、それは「もったいない」ことだと思う。

そう考えられるようになって、ぼくの「書けるものの幅」は広がり始めた。

少し前までは「こんなこと誰も興味ないだろうなあ」「こんなバカなミスをするのはどうせぼくだけだろう」と記事にするのを見送っていたであろう「ちいさなほころび」のような「ネタ」の数々が、きらきらと光ってぼくの目に主張してくるようになった。

本や記事の内容を「引用」することにさえ恐怖を覚えていた以前のぼくとは、もはや別人だ。

良いものは「良いよ」と引用してオススメすればいいし、悪いものでも引用して「ぼくはこうは思わない」と否定すればいい。

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