50種類もあんの!? ハラスメントが異様なまでに増えた原因。

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考え事

ハラスメントの被害が増え続けているという内容の動画を見ました。

そこで何となくハラスメントのことを調べてみると「ハラスメントは全部で50種類以上!」などという記事が出てきて唖然。

トレーディングカードかよ・・・

50種類以上もあるというハラスメントをこの場で羅列するようなことはしません。それを覚えてすべてに配慮しろというなら、それこそハラスメントではありませんか?

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そもそもハラスメントって何?

ハラスメントとは広義の「嫌がらせ行為」のことだそう。

相手を不快にさせたり、恐怖を感じさせるようなことをカテゴライズして「○○ハラスメント」と呼んでいるようです。

「嫌がらせ」に悪意は関係ない。

嫌がらせとは悪意を持って相手を不快にさせたり不利益を与えたりするものだと認識していましたが、ウィキペディアを見ると違うようでした。

類似の概念にいたずらいじめ等があるが、多くの場合、それらは加害者側に悪意があることを想定して使われる言葉である[5]。それに対して、嫌がらせやハラスメントは、他者からの何らかの行為によって被害者が心の傷や精神的ショックを受けたという結果に注目しており(参考:結果犯)、故意過失など加害者の意図や主観は必ずしも重要ではない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AB%8C%E3%81%8C%E3%82%89%E3%81%9B

ウィキペディアによると「いたずら」や「いじめ」という言葉は「加害者側に悪意があること」を想定したものであるのに対し、「嫌がらせ」は被害者の心の傷や精神的なショックに注目した言葉であるそうです。

つまり本人が「嫌だ」と思えばそれは嫌がらせであり「ハラスメント」であるということ。

あれも嫌! これも嫌! で、いつの間にか50種類。

思い返してみると「セクハラ」については私が子供のころから使われていました。

20代になると「パワハラ」や「モラハラ」という言葉が聞こえ始め、20代も半ばになると「アルハラ」なども使われるようになったと記憶しています。

ハラスメントは最初から50種類もあったわけではなく、時代とともに増えているのです。

数年後には「ハラスメントは100種類以上ある!」などという記事が登場しているかもしれません。

妥協点を見つけないと生きづらくなる一方だ。

他人の嫌がることをしてはいけないというのは基本的なモラルだと思いますが、少しでも嫌なことがあるたび「それは○○ハラスメントです!」などと問題化しているとルールが増え続けるため、生きづらくなる一方です。

明らかに悪意のあるものや、法に触れるレベルのハラスメントは問題にすべきですが、嫌なことがあるたびに新しいハラスメントが生まれている現状は「やりすぎ」と言わざるを得ません。

ハラスメントが増え続けている原因。

近年「勝ち・負け」や「加害者・被害者」のように、物事を二元論的にしか捉えられない人が増えているように感じます。

そうして「勝ちか負けかなら当然『勝ち』のほうがいいよね」と考えるようになり、二元論でどちらの立場にいても「勝とう」とするあまり、被害者であることを利用して相手より優位に立とうとした結果が、異様なまでのハラスメントの増加なのではないでしょうか。

社会生活を送る上で多少傷つくことがあっても仕方ないよね、と許容されていたものが、物事を二元論的にしか捉えられない人が増えたことで「私は被害者である」という極端な主張に変わってしまったのではないか。私はそんなふうに見ています。

もちろん「仕方ないよね」にも限度はあり、いじめやあからさまなセクハラなどについてはもっと厳しく取り締まるべきだと考えます。

しかし上司の怒り方がムカつくとか、隣の席の人が臭くて嫌だとか、頑張れよと肩を叩かれたといったことまで細かく「ハラスメント化」するのはどうなんでしょう?

被害者マウントをとっていた人が加害者になるとき。

ありとあらゆることがハラスメントと呼ばれるようになった世界では、最初のうちは「私は被害者である」とマウントをとっていた人すら、気づかぬうちに加害者となるでしょう。

何でもかんでも「ハラスメントだ」と言うこと自体が、他人への「嫌がらせ」になる日も近いのではないでしょうか。

もしもそんなふうになってしまったらお笑いですけどね。

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