イジメられていた過去を暴露します。黒井が生まれてからブログを始めるまで。

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考え事

まいど。

中卒、ひきこもり、ニートと三拍子そろった黒井です。

最初に記しておくと、ぼくは――

  • 頑張ればコンビニに行ける程度の「ひきこもり」
  • おこづかい程度の収入がある「ニート」
  • 中学2年までしか学校に行かなかった「中卒」
  • 不眠症、不安症、対人恐怖症で「うつ気質」
  • ありがたいことに「彼女あり」

以上のような属性を持つ社会不適合者です。

当ブログの運営の他にTwitterやnoteなどのSNS、Youtubeでのゲーム実況、ライブ配信などをおこなっています。

ここでは、黒井が生まれてから「中卒、ひきこもり、ニート」の三種の神器を手に入れるまでのおはなしをしていきます。

そこそこショッキングなエピソードも出てきます。

読み進める前に、何度か心臓を叩いておきましょう。

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中卒ひきこもりニートになるまで。

小さいころの黒井

上の写真は子どものころの黒井。このころはまだ元気いっぱいで、同じ県営団地に住むひとつ年上のお兄ちゃんたちと一緒に走り回っていました。

黒井の生年月日、血液型、家族構成。

黒井が生まれたのは1991年9月28日。

バブル崩壊と同時に生まれ落ちた生粋のゆとり世代。

必ずA型に間違われるO型。

男ばかりの4兄弟の長男です。

小学5年生までの黒井。

小学5年生までのぼくは、ごくありふれた普通の子どもでした。

当時は神奈川県は川崎市の県営団地に住んでいました。同じくそこに住んでいるひとつ年上のお兄ちゃんたちや、自分より年下の子どもだちと、元気いっぱいに遊んでいました。

学校へ行けばまた学校での交友関係があり、たくさんとは言えませんが、友だちにも恵まれていました。

ところが……

小学5年生、6年生の黒井。

母が某飲食チェーンで働き始めたり、そのことによって当時まだ3歳だった一番下の弟の面倒を見なくてはならなくなったりと、ストレスを感じることが立て続けに起こります。

その結果、ぼくは「暴飲暴食」をするようになりました。

このころはまだ外で遊んだりして体を動かしていましたが、それ以上に食べすぎていたのか、ぼくは少しずつ太っていきました。

学校ではクラスメートから太っていることをからかわれるようになり、学校の友だちと遊ぶことも少なくなりました。

ぼくの体型をからかう声はどんどん大きくなってゆき、いつしかイジメへと発展しました。

このころから……

  • 体型に関する悪口や陰口を言われる
  • 暴力を振るわれる
  • 上履きや体操着、リコーダーなどを隠される
  • 教科書やノートをゴミ箱に捨てられる
  • トイレに入ると覗かれる
  • ぼくの癖をみんなで真似する

このようなイジメが始まりました。

体操着やリコーダーを隠され、見つけられないまま体育や音楽の授業に出席すると「体操着を忘れました」と言い出して先生に叱られているぼくをよそ目に、事情を知っているクラスメートたちがクスクスと小さな笑い声を立てている……

先生に告げ口をすることもできず、いつも「忘れました」と言って先生に叱られていると、とても惨めな気持ちになりました。

クラスメートからクスクス笑われていることに気がつくと、あまりの恥ずかしさに顔は紅潮し、このまま消えてしまいたいと思いました。

耐えかねたぼくは、いつしか体育や音楽の授業がある日にかぎって、学校をズル休みするようになりました。

しばらくするとズル休みが通用しなくなり、今度は「行ってきます」と学校へ出かけたフリをして、そこらをほっつき歩くようになりました。

ぼくは家を出ると人の目をかいくぐって近所のさびれたお社へ行きました。

お社とその周辺はまったく管理が行き届いておらず、当時のぼくの背丈ほどもある草が生い茂っていたので、身を隠すのにはちょうど良かったのです。

ぼくはお社の裏に草をかき分けて座り込み、息を潜め、ぶるぶる震えながら時が過ぎるのを待ちました。

そんな生活を送っていると、気づけば6年生になってしました。いつも一緒に遊んでいた団地のお兄ちゃんたちは、みんな中学生になってしまいました。

こうして、学校ではイジメられ、家では両親が大忙し。弟の世話をしなくてはならず、一緒に遊んでいたお兄ちゃんたちとも遊ぶことができなくなり、ぼくはひとりぼっちになってしまったのです。

必ずA型に間違われるぼくは、A型の特徴とも言われる「几帳面」で「生真面目」な性格です。

両親が忙しくしているのを知っていましたから、泣き言をもらすこともできず、弟の世話をこなしながらも、学校をズル休みしたり、出かけたフリをして逃げ回ったりしていることに対し、罪の意識を持っていました。

いつしか「自分は何か重大な罪を犯して逃げ回っている逃亡犯か何かなのではないか」と思い込むようになり、家にいてもなお罪の意識を感じて、いつ罪を指摘されるのかとびくびくするようになりました。

黒井
黒井

中学校へ進学すればなんとかなるかもしれない。

当時のぼくにとって、ゆいいつ残されていた希望は、進学すれば団地のお兄ちゃんたちのようにまた新しい交友関係ができて、イジメから開放されるかもしれないということでした。

しかし……

中学1年生の黒井。

淡い期待を胸に進学するも、環境は改善するどころか、イジメはどんどんエスカレートしていきます。

クラスメートから「親の財布から金を抜いてもってこい」と脅されるのが当たり前になり、ぼくは両親が共働きをしないと家計が成り立たないのだということを悟っていますから、それだけはできないと拒むと、きまって集団リンチを受けました。

 

中学生になり、ぼくは親にケータイ電話を買ってもらいました。

数少ない友人と電話番号やメールアドレスを交換して、学校ではイジメられながらも、放課後には友人と遊ぶこともありました。

しかし、ぼくに友人がいることを知ったイジメ加害者たちは、ぼくの友人にまで危害を加えるようになりました。

それからひとり、またひとりと友人が減っていきました。

自分の立っているその地面がぼろぼろと崩れていってしまうような不安感があり、このころから、もう自分の力ではどうすることもできないのではないかと思うようになりました。

中学1年生の終わり。

ぼくの友人でいてくれたのは、4人だけでした。

中学2年生の黒井。

1日のうちに数百件もの迷惑メールが届くので、ぼくはメールアドレスを変えて、4人の友人にそのことを伝えました。

すると、メールアドレスを変更してからたった数日のうちに、また1日に数百件の迷惑メールが届くようになりました。

 

ぼくはあることを疑いながらも、それを考えないようにしていました。

黒井
黒井

ひょっとすると、友だちのうちの誰かがインターネット上に自分のメールアドレスを晒しているのではないか?

 

しかしその後も、なんどメールアドレスを変更しても、たった数日で「受信ボックス」は迷惑メールの山となりました。

いよいよ疑いから目を逸らすことができなくなり、ぼくは友人にカマをかけ、4人のうちのひとりに偽物のメールアドレスを教えました。

それを4回繰り返し、4人全員に一度ずつカマをかけました。

その結果、2人の裏切り者があぶり出されました。

彼らに偽物のメールアドレスを教えると、ぴたりと迷惑メールが治まったのです。

彼らは別のクラスメートに言われてぼくのメールアドレスをネット上に晒していたらしい。そうすることで自分の身を守っていたのです。

その後、残された友人のうちひとりは、メールを送ると、ある日突然「そのメールアドレスは存在しません」と返ってくるようになり、ぼくの友人はたったひとりになりました。

もう二度と学校には行かないと決めた日。

中学2年生の夏休みのことです。

ゆいいつの友人の家へ遊びに行き、そこでふたりでテレビゲームをしていると、彼の家の玄関ドアが開く音がして、クラスメート数人がどかどかと上がりこんできました。

どうやらクラスメートたちは、ぼくが友人の家に入っていくのを、どこかから見ていたらしい。

彼らは嵐のように友人の家のものをめちゃくちゃにして、去っていきました。

リビングのローテーブルはひっくり返り、PS2は叩きつけられ、窓ガラスは割られ、PCの箱型のモニタは床にころがっている――

ぼくは自分のせいだと猛省し、友人に何度も謝り、その日は家に帰りました。

するとその翌日、友人の家から「車検に使うはずだったお金」が消えていることが分かりました。

ぼくは「あいつらに違いない」と確信し、そのことだけは自分が先生に言わなければならないと思い、数年越しに、自分がイジメられていることを先生に告げ口するのでした。

その後、友人の父が「これはうちの問題だから」とぼくのことを庇ってくれ、ぼくは「車検に使うはずだったお金」がどうなったのか、この先のことは何も知りません。

この事件をきっかけに、ぼくはいよいよ学校へ行くのが怖くなってしまいました。

ぼくがいると、自分だけでなく、唯一の友人や、その家にまで迷惑をかけてしまう。

他人をイジメるひとたちは、イジメをすることでスッキリしたり、お金を強請ることができるなら、そのターゲットは誰だってかまわないのだ……

そう思うと恐ろしくなり、家族に「学校へ行きたくない」ということを相談しました。

そのころのことは、ぼく自身、心身とも限界を超えており、記憶があいまいで、あまりよく覚えていません……

ただ、どういう経緯だったかは覚えていませんが、とにかくぼくは、毎朝父の車で強制的に学校へ連れて行かれるようになりました。

今では父とも上手く話せるようになりましたが、ぼくを車に乗せて学校へ連れていき、校門の前でぼくを降ろしたとき――

「おまえはいつも逃げるからな」

と、鼻で笑うように言った父の声だけは、忘れられません。

学校へ行くのが恐ろしくて、悪いことだと感じながらも逃げ回っていたころが「逃亡犯」なら、このときは、ついに警察に捕まり牢へぶち込まれた「死刑囚」のようなものでした。

「強制的に学校へ連れて行かれる生活」にも限界が来て、耐えられなくなったぼくは、ある朝、学校へ行きたくないということをつよく主張しました。

すっとんできた父に何度も殴られて、着ていた学校の制服は、ワイシャツも、ブレザーも、びりびりに破れてしまいましたが、学校へ通い続けるよりずっとずっとマシだと感じました。

こうしてぼくは不登校となり、その日をさかいに1日たりとも学校へ行くことはありませんでした。

こうして黒井は「中卒、ひきこもり、ニート」の称号をほしいままにするのでした。

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不登校児にとってのセーフティネットは、インターネットである。

不登校児になり、ぼくは当ブログの前身とも言えるケータイ・ブログをはじめました。

当時のぼくは、両親ともほとんど会話ができず、ドアをぴったり閉じて部屋にこもり、ブログばかり書いていました。

1日に10件近く書くこともありましたね。

ぼくの居場所はインターネット上にしかありませんでした。インターネットがぼくにとってのセーフティネットだったのです。

あなたがもし不登校の息子さん、娘さんのいる親御さんだったとしたら、どうか「インターネット環境」だけは奪わないであげてください。

あなたの息子さん、娘さんは「死にたい気持ち」に耐えるのに、インターネット環境を必要としています。

それを取り上げてしまったら最後、最悪の場合、自殺を遂行してしまうかもしれません。

彼らにとっての居場所は、もはやインターネット上にしかない状態なのです。

ケータイ・ブログは東日本大震災が起こる2011年まで続きました。

それからパソコンに移行し、Googleが運営するブログサービス「Blogger」を経て、レンタルサーバーにWordPressをインストールしてつくる現在のスタイルに至ります。

彼女のこと。

冒頭でさりげなく書きましたが、ぼくには彼女がいます。

中卒、ひきこもり、ニートで、ひょっとしたら精神病かもしれないのに病院へも行くことができないぼくのことを、まるごと愛してくれる、ぼくの大切な人です。

彼女は、ぼくが不登校になって最初につくったケータイ・ブログの読者でした。彼女もまたブログを書いていて、ブログサービスに備わったメッセージ機能を利用してやり取りをしていました。

コメントやメッセージ機能でのやり取りが、やがてメールでのやり取りになり、いつしか会うようになり、そして恋人になりました。

あなたはどう感じましたか?

自分の過去をおおやけにするのには抵抗があり、これまではなかなか詳細には語ることができないでいました。

今回、こうして(ぼくの気持ちとしては)暴露をしてみて、この記事を読んだあなたがどのような反応をするのか、ぼくは少し不安です。

イジメやひきこもりについて(そんなことは絶対にあってはなりませんが)未だに「自己責任論」で片付けようとする人もいます。

「イジメられた側にも責任がある」などとは簡単に言えますが、相手にも多少の責任があったとしても、人の悪口を言ったり、暴力を働いたり、お金を強請りとったりしても良いのかというと、そんなはずはありません。

働くことに関しても同様です。

「働いたら負けかなと思ってる」というのと「働きたい気持ちはあるけど恐ろしい」とか「働きたい気持ちはあるけど病気が」というのとでは大違いです。

しかし、世間的には「ニート=悪」と単純に捉えている人が多いことには、ひとりのニートとしてとても悲しく思います。

そのような世間一般の常識から、当ブログにもぼく個人を誹謗中傷するコメントが寄せられることもしばしばありますが、そんなものには屈することなく、ブログやSNS、Youtubeでの発信を続けていきます。

この記事をきっかけに、ぼくに対してちょっとでも興味を持っていただけたなら幸いです。とても長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方に、心からの感謝を申し上げて、この記事は終わります。

ということで、またね!

黒井のことがもっと分かるかもしれない記事。

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