「ああ。またつまらないことでミスをしてしまった。自分はいつもそうだ。あのときも。あのときも。きっと周りからは無能だとか、鈍くさいだとかって思われているに違いない」
反芻思考とは、ネガティブな出来事に対して、それを更に発展させる形で「きっとこう思われている。こう見られている」などと繰り返し悩むことです。
かくいう私も、中卒・ひきこもり・ニートとコンプレックスのかたまりですから、頭の中で反芻思考がぐるぐる止まらなくなることがしばしばです。
中卒なんて現代じゃ滅多に見かけないし、頭の悪いバカだと思わているんだろう。働いていないことだって「働かざる者食うべからず」とか、思われているに違いない。それに・・・
このように、いったん反芻思考に陥ると、なかなか止めることができません。
頭の中でぐるぐる繰り返す反芻思考を止めるには「事実だけ」に注目することです。そのためによく覚えておきたい言葉があります。
それは「”二の矢”は自分で放っているのだ」ということです。
“二の矢”は自分で放っている。
「一般の人も仏弟子も、同じ人間であることに変わりはない。それゆえに、仏弟子とて喜びを感じるし、ときには不快を感じ、憂いを覚えることもある。それでは、一般の人と仏弟子は何が違うのだろう?」
(中略)困惑して黙り込む弟子たちに、ゴータマ・ブッダは答えました。
「一般の人と仏弟子の違いとは、”二の矢”が刺さるか否かだ」
無(最高の状態) – 鈴木祐 P35より
悟りを開いたブッダのような人は、何が起ころうと平静を保っているのに違いないと考えてしまいがちですが、実際にはそうではありません。
例えば、階段から落ちて足を骨折したときに「痛い」と感じることは、生き物としての正常な反応です。悟りを開いても痛みや苦しみを完全に感じなくすることは不可能です。
ただし、痛いと感じたあと「このまま歩けなくなってしまったらどうしよう」や「周りに迷惑をかけてしまう。きっと嫌な顔をされるんだろうな」などと考えないようにすることは可能です。
“一の矢”(階段から落ちたときの『痛い』という反応)は避けることができませんが、続く”二の矢”は、”一の矢”を受けたあとに自分で放つ「心配」や「不安」なので、避けられるはず。
つまり、反芻思考の入り口になる「二の矢」は、自分自身が放っているのです。
避けることができない「事実にだけ」反応すれば良い。
“一の矢”は生き物としての正常な反応であるため避けることができません。
ですが続く”二の矢”は、一の矢を受けて湧き上がる感情(恐怖や不安や心配事)なので、自分でコントロールできるはず。
“二の矢”を避けることができれば、更に続く可能性のある三の矢、四の矢を受けずに済む。すなわち「反芻思考」に陥ることを回避できるというわけです。
“二の矢”を避けるためには「起こったこと」や「事実」にだけ反応をし、そこから派生して生まれる「感情」にはとにかく耳を貸さないこと。
避けることができない「事実にだけ」反応すれば良いのです。
反芻思考を止める方法
中卒なんて現代じゃ滅多に見かけないし、頭の悪いバカだと思わているんだろう。働いていないことだって「働かざる者食うべからず」とか、思われているに違いない。それに・・・
上の文は、記事の冒頭で紹介した私の反芻思考を再現したものです。
私が「中卒」であることは事実ですが、続く「現代じゃ滅多に見かけない」は主観です。
調べてみると2010年の統計では最終学歴が「中学卒業」の人は「18.8%」だそう。ざっくり2割くらいの人は中卒だと考えると、「滅多に見かけない」というほどではないのかもしれません。
次の文も冒頭の「働いていない」ことは事実ですが、続く「周りから『働かざる者食うべからず』と思われている」の部分は私の被害妄想です。
両親など、本当に「働かざる者食うべからず」と思っているかもしれませんが、実際に言われたわけではありません。
あくまでも事実にだけ反応すると、先程の文章は・・・
私は中卒のニートです。
単なる自己紹介になりました。
事実だけに注目して初めて「さて、どうするか」と考えられる。
反芻思考の害は「とらわれることで何もできなくなってしまう」ことだと思う。
走馬灯のようにぐるぐるとネガティブな思考、感情が立ち上ることで、何も手につかなくなってしまう。単純に苦しい、つらいというだけでなく、反芻思考にとらわれている限り何も進展しないということでもあるわけです。
長い長い反芻思考から抜け出して、ポジティブもネガティブもなく、事実だけに注目できると、そこで初めて「さて、どうするか」と考えられるようになります。
何を隠そう私自身が、ちょうど今、反芻思考から抜け出して「このことをブログに書こう」と考えられたのですから、信ぴょう性は非常に高いはず。
反芻思考を止められずに困っている人は、まず「事実の整理」からしてみてはいかがでしょうか。
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