まいど、黒井です。
ぼくはニートとして「働かずに生きる」という常識外れの選択をしました。それからブログで稼ぐようになり、今では「月収7万円」ですよ。
まいにち好きなことや自分の思ったことを記事にして暮らしています。
「常識」には「2種類」あるんですが、分かります?
それは「自分の常識」と「世間一般の常識」のふたつ。このウチのどちらでもかまいません。常識から一歩、いえ、半歩でいいから外れてみませんか?
常識に囚われて「みんなと同じ」という生き方をしていては、いつまでたっても「みんなと同じ」ままで発展していきませんよ。
それどころか「常識に囚われてみんなと同じ」の状態では、これからの時代、確実に「マイナス」となります。みんなと同じじゃダメなんですよ。
どうして「常識的」で「みんなと同じ」ではダメなのか?
「常識から外れることができずみんなと同じを求める状態」には「2つ」の「ない」があります。
それは、
- 幸せになれない
- これからの時代を生きていけない
以上のふたつ。
それぞれ見ていきましょう。
【1】常識から外れないと幸せになれない
いつまでも「みんなと同じ」という考えでは幸せになれません。本当の幸せというのは「あなたにとっての幸せ」なのであり、みんながみんな同じ幸せを共有できるワケではないからです。
世の中には人生のテンプレートのようなものがあります。数十年前までは「頑張れば達成できるテンプレート」だったはずなのに、それは現代では「頑張っても難しいテンプレート」となってしまっています。
- マイカーを持つ
- 郊外に戸建てのマイホームを持つ
- 結婚をする
- 子どもを授かる
- 年に一度は家族で旅行に出かける
などなど、挙げようと思えばキリがないくらいに「人生のテンプレ的幸せ」というものが提示されています。
でもちょっと考えてみてくださいよ。それは本当に「あなたの望む」幸せですか?
ぼくはそもそも車の免許を持っていないし取るつもりのないので「マイカー」なんて要りません。家も「戸建て」である必要はないし、結婚も別に要らないかなぁ、いまのところ。でも子どもは欲しいなぁ、子ども好きだから。
でも家でジャズを聴きながら本を読んだり、萌えアニメを見てにやにやしているときのほうが幸せかしら。
その人の幸せは「その人にしか感じ得ない幸せ」であるはずです。人はひとりひとり違うんですから。日本では「個性を活かせる社会!」なんて言っていますが、その実態はどうでしょうか?
あなたは職場でいつも自分らしくいられますか?
結局のところぼくが「働きたくない」と思う理由はそこにあるんだろうなぁ。
言葉遣いだとかそこまでひどくなれけばどうでもいいと思うし、そもそも尊敬できない人に敬語を使うのは何か違うような気がする。気を遣うのも嫌だ。人と接するのもへたっぴだし、満員電車に乗りたくもない。飲み会なんてクソ食らえだ。
ぼくにとっての「幸せ」はどう考えても「ふつうの会社に就職してぺこぺこ頭を下げながら生きる」ということではありません。そうすることで多くのお金がもらえるとしても、という話ですよ。
だからぼくは「ニート」のまま「最小限のスペース」を自分で確保しつつ暮らすことを目指しています。だから実質的には個人事業主になるんだけど、気分的にはニートでいたいなぁ。
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ぼくは社会に適応できなかったからこそ「別の道」を見つけることができましたが、世の中の多くの人は「何とか頑張って適応できた人」なので、社会は厳しいとか、うつは甘えとか、ニートは働けと言うんでしょう。自分の経験が「常識」と化しているんです。
それ、いわゆる「老害」と同じ考え方なんですよ?
- 俺が若い頃なんていうのはなぁ
- 最近の若い奴はまったくなっていない
- もっとこういうふうにしたほうが良いに決まっている
これらの言葉はすべて「自分の考えが常識」になり「それに囚われてしまっている状態」と言えます。人間は基本バカですから「あんな老害にはなりたくないな」とか言いながら、結局みんなそうなっていきます。
なんせ「みんな同じ」が一番だと思っているからね。
当然その考えでは「みんな同じお説教ジジイ」になるし「みんな同じ口うるさいオバサン」になるし「みんな同じ社畜」になるし「みんな同じように人生と仕事のバランスを見失う」し、あげくの果てには「みんな同じような人生を送る」ことになるんですよ。
その流れ、すなわち「常識から外れる」ことで、みんな同じの概念から外れることで、自分なりの幸せや、自分なりのワークライフバランスを見つけられるようになります。
断言しましょう。
幸せは常識を外れたところにありますよ。
【2】これからの時代を生きていけない
現代社会はまさに「激動の時代」です。そういうと多くの人が「恐怖」や「不安」を胸に抱くことでしょう。ぼくなんかは真っ先にぶるぶるしちゃうタイプですよ。
しかし「変化」には2種類ありますよね。良い変化と悪い変化です。ぼくみたいな中卒でうつ病でコミュ症で引きこもりのニートでも、ブログやツイッターを使えば情報を発信していくことができるようになったことは、ぼくにとっては「良い変化」と言えます。
でもねぇ、
多くの人は「良い変化」には「流されるだけ」なのに対して「悪い変化」にはすぐ気付いて「文句を言う」んですよ。ぼくは人間のこういうところが嫌い。
えてして自分もそうなんですけどね。
良い変化は「受け入れやすい変化」でもあるため、たとえば「ポケモンGO」がリリースされるという変化が起こったら、みんなそれに「流され」ます。
流されるんですよ。
その「良い変化」に「流される」のではなく、変化を「意識する」ことができた人は、ポケモンGOにしろ他の何かにしろ、それを利用して情報発信をしたり、お金を稼いだりします。
なにしろ激動の時代ですから、変化なんていうものは「そこらじゅうで」起こっているんですよ。それなのに多くの人は「流されるか不平不満を垂らすだけ」だなんて、本当にもったいない。
その常識からも、外れましょうよ。
ポケモンGOがリリース開始→遊ぶ
これだけでは「常識に囚われた人」ですよね。流行に流されている人とも言えますが。ぼくはポケモンGOが「配信される前から」こんな記事を書いています。
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ポケモンGOではGPSを使いっぱなしになるのでバッテリーの減りが早い。だからモバイルバッテリーの需要が増すのではないか、と考えたんです。
おかげ様で先月(2016年7月)は過去最高の収益を得ることができました。この記事だけのおかげというワケでもありませんけどね。
これからの時代、
低コストで運用できるようになった「ロボット」や、アイデアによってさまざまなことができる「人工知能」により、あらゆる仕事が奪われていきます。
たとえば自動車。
いまはまだ人の手で運転していますが、10年後にはむしろ「人が運転するのは危険だ」とさえ言われているかもしれません。
また「電気自動車」が増えていくことで「今の自動車整備士」の仕事はなくなるでしょう。エンジン車と電気自動車とではまったく仕組みが違うので、整備するには別の資格が必要になるんですよ。
だから「今の常識から外れることのできない整備士」は、次の時代に進めませんよ。これは自動車整備士に限った話ではありません。
しかし、
ロボットや人工知能が幅を利かせてきたとしても「人間にしかできないこと」もあります。それは「みんなと同じ」の常識に囚われた考えでは成すことができません。
これからの時代に必要なのは「人間力」です。
与えられた仕事を「常識的にこなす」だけなら「ロボット」がやるほうがずっとエラーが少ないです。だからあなたには常識から外れる必要があります。
あとがき
ちょっと常識から外れるくらいでは、またすぐに「それが常識に」なってしまいます。ほんの些細なことでもいいから、日常的に常識から外れてみましょう。
ふだん「カルビー」のポテチを食べているなら、ためには「湖池屋」の商品を食べてみるとかね。そんなことかよ、と思ったかもしれませんが、この小さな「常識外れ」に対し「あなたが何を感じるか」が重要なんです。
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