まいど、中卒ブロガーの黒井です。
いま、クラウディア・ブラックの著書「子どもを生きればおとなになれる。インナーアダルトの育て方」という本を読んでます。
「子どもを生きればおとなになれる」は、アダルト・チャイルド(AC)と呼ばれる「正しく子どもの時代を過ごせなかった人」のための本。ACにはどのような症状が出て、どのようにすれば快方へ向かっていくかについてのプロセスを記した一冊です。
子どものころといってぼくの頭のなかに最初に浮かび上がるのは「イジメられていた記憶」です。その記憶は他のどれよりも鮮やかに、それどころか、やや脚色された形で残っており、あれから10年経った今尚ぼくを苦しめ続けています。
なんとな〜く、子どものころのことを思い出しながら、そのころの正しい気持ちを探りつつ、紙に書き出してみることにしました。
すると……
今となっては「不憫に」思える、ぼくの幼少期。
10分ほどでパパーッと書き出したものを紹介します。
ぼくの幼少期・家庭編。
- テストで良い点を取っても「小学校のテストはみんな100点が取れるようにできている」と言われて、ほめてもらえなかった。
- 弟ができてからは、多少は仕方がないとしても、ぼくは二の次だった。
- 母が働き出してしまい(ぼくが10歳のころ)弟の面倒をぼくが見なくてはならなくなった。
- 兄弟げんかをすると必ず「お兄ちゃんがしっかりしていないからだ」として、ぼくだけが怒られていた。
- 小学校低学年のころから、家を追い出されたり、叩かれたりしていた。弟がそんな目に遭っているところは一度たりとも見たことがない。
- イジメられていることをカミングアウトしても両親は何もしてくれなかった。それどころか父はぼくを車に乗せて無理やり学校に連れていった。
- 一時期、弟や友人に手をあげることがあった。それはイジメられることで溜まったストレスを発散する唯一の方法だったのかもしれない。
家庭でのぼくは両親から何度も何度も刷り込まれた「お兄ちゃん」でした。優しく心強い兄でいなければならないと、長い年月をかけて調教されてたんだなあ……。
今になって考えてみると、両親はともに「弟」であり「妹」なんですよ。ひょっとするとぼくは、弟・妹としての両親が考える「理想的な兄像」を押し付けられていたのかもしれませんねえ。
ぼくの幼少期・学校編。
- 学校ではイジメを受けていた。悪口を言われたり、ぼくの言動や行動をからかわれたり、殴られたり、家のお金やカードをもってこいと強請られたり。
- さらなるイジメを恐れ、体育や音楽の授業の実技テストをズル休みすることがあった。
- また体育なら体操着、音楽ならリコーダーなどをどこかに隠されてしまったことを言えず「忘れました」とウソをつくこともあった。
- 「行ってきます」と言って家を出たあと、登校する生徒たちの目を盗んで通学路から外れ、近所の公園で「見つかりませんように」と学校をサボることがあった。
- もともと学校をサボるような人間ではないので、そういう日は1日じゅう心臓がバクバクいってたなあ。
- 中学1年までは少なかったが一緒に遊ぶことのできる友人がいた。でも悩みを相談することはできなかった。相談してはいけないと思っていた。
- そのため何をしていてもこころは孤独を感じていた。
学校でのぼくは典型的な「イジメられっ子」でした。
小学4年生のころ(だったかなあ)から、学校が怖い、学校に行きたくない……という思いが日に日に増えていきましたね。それは中学2年生の秋ごろに大爆発します。
元プロボクサー志望だった父と殴り合いのケンカをして、制服はびりびりに破け、体中にアザをつくり……ぼくは学校に行かなくなりました。
登校拒否をし始めると苦しさの種類が変わった。
イジメを受けていたときは、いうなれば「耐えの苦しみ」でした。イジメにひたすら耐えて生活をしていたんです。
登校拒否を始めてから、苦しさの種類が変わりました。「耐えの苦しみ」は「耐えられない苦しみ」に変化していきました。
根がバカ真面目なぼくは、学校に行けばイジメられて苦しく、学校に行かなくても不安で苦しい毎日を送ることになったんです。
14歳のぼくが感じたのは、未来に対する圧倒的な絶望感でした。
よ〜く思い出してみると、学校に行けなくなってしまったあのときから、ぼくはもううつ病だったのかもしれません。登校拒否をしても「安心」や「解放」なんてどこにもなく、ただ明日が恐ろしく、不安で、体が硬直して何もできなくなってしまうのでした。
あれから10年経ってぼくは変わっただろうか。
14歳で学校に行けなくなってしまってから重度の人間不信に陥りました。数少ない友だちとも連絡を取り合うことができなくなり、兄弟や両親とも上手くしゃべれなくなってしまったんです。
父とまともにしゃべれるようになったのも、ほんのつい最近のこと。
たぶん、生まれて初めて父といい感じでしゃべることができた。部屋に戻って来て、何だか心臓がばくばくしてる。そんな25歳。
— 黒井@中卒ブロガー (@961373) 2017年2月6日
これまでは「何にも変わってねえな」と思ってましたが、ブログを初めてから、すこ〜しずつ変わってきているような感じもしますね。そう感じられるようになったことが進歩なのかなあ。
ブログを使ってちょっぴりお金を稼げるようにもなりましたし。一昨年までぼくは成人しているのに「おこづかい」をもらう不届き者でしたからね。
子どものころのキズや痛みをなかったことにするのはムリだけど、ひとつずつ「自分だけが悪かったワケじゃない」と理解していくことで、癒やすことはできる……かもしれません。
ほんのちょっとずつでも、変わっていけるといいなあ。
コメント
両親が弟で妹だから、一番上がわからないってあるあるかもしれません。
うちは、父が真ん中っ子で母が末っ子やから、一番上って、わかってもらえない感はありましたね。
だから、一番上を経験したから、我が子にお兄ちゃんって、辛いよねってなってて、兄弟産む気ないです。
一人を可愛がる。
でも、一人っ子の旦那は兄弟つくりたがる。
ないものねだりです。
ちきんさんへ。
はじめまして、コメントありがとうございます!
共感していただけて嬉しいです!
大人になっても実は「子どものころと変わっていない」のだと思います。自分がこうだったから、という基準でしか考えることができないのは、大人も一緒なんですよね。
これからも遊びにきてくださいね!