まいど。
黒井です。
2019年11月12日、母が入院しました。
頭痛を訴え病院に行ったところ椎骨動脈解離を疑われ、CTスキャンなどから「まだ破裂してはいないが解離が認められる」ということで、経過を診るために入院することとなりました。
母がいないと何もできない「ぼく」
経済的にも精神的にも親から独立している人にとっては、親が入院したと聞いても「え。心配だなぁ」という程度のことかもしれません。
しかし両親に大きく依存しているぼくにとっては、母のことが心配なのはもちろん、自分の生活のことが不安で不安で仕方がありませんでした。
普段から危ういところを行ったり来たりしている心の状態は見事にくずれ、母が入院した12日の夜は、ついに一睡もすることができませんでした。
ぼくを「なにもできない人間」にしたきっかけはイジメでした。
子どものころは、家に帰るとランドセルを放り投げてそのまま遊びに出かける元気な少年でした。
自転車さえあれば世界中のどこへでも行けると本気で信じていました(笑)
そんな子どもが「なにもできない人間」になってしまったのには理由があります。ぼくは小学生の高学年から、学校でイジメを受けるようになったのです。
そのことについては別の記事にまとめているので、気になる方はそちらをご覧ください。
何もできない「ぼく」の冒険。
翌日、ぼくは一睡もできないまま朝を迎えました。
朝から不意に涙が出たり、かと思えばピタリと止んでぼうっとするのを繰り返し、それを自分でコントロールできない状態でした。
ようやくスマホを手に取ると、父からメッセージが届いていました。
あなたにとってはふつうのことかもしれませんが、ぼくはひとりで外出をするのが恐ろしくて仕方がないのです。広場恐怖症と言って差し支えないでしょう。
父からのメッセージを目にしただけで動悸がし、寝不足の頭がくらくらし始めます。
家にあるものでなんとか食事を作ることも可能でしたが、母の入院中ずっと家にあるものを食べつづけるわけにもいきません。
意を決して、歩いて数分のセブンイレブンへ行きました。
汗と涙を流しながらなんとか帰宅。
セブンイレブンに行きました。ひとりで。汗も涙もたくさん出たけど、何とか買い物できたよ。
— 黒井@ネガティブ (@961373) November 13, 2019
家の近所をお散歩するくらいなら(それでも怖いけど)ぼくにもできます。
しかしお店に入り、ましてやレジの前に立ち、商品を購入するとなると話は別です。
とくにレジの前。
レジの前の床には「黒井の汗腺を刺激するスイッチ」が埋め込まれているのに違いありません。そこに立つと、有無を言わさず汗が吹き出てくるのです。
頭からあごまでを大粒の汗がつたいます。それを見た店員さんがほくそ笑んでいるのではないかと勘ぐってしまい、あっという間に顔が火照ってしまうのです。
頭がぐわん、ぐわんと脈打つのが分かり、どうにかこの緊張をさとられぬようにしなければと考えます。しかし、考えれば考えるだけ汗はしたたり、顔は紅潮し、頭は脈打つばかり。
ようやくレジ打ちが終わると「nanacoで」と最低限の声を出してお会計をし、レジ袋を持つ店員さんの手に触れないようにして袋を受け取り、お店を出ました。
自動ドアをくぐり、外へ出ると、涙が溢れてしまいそうでした。
お店の前が交差点になっており、まばらではあったものの通行人が信号を待っていたので、逃げるようにその場を去り、家路につきました。
母が退院しました。
さいわい、母の椎骨動脈解離は軽度なもので、これからさらに解離が進むことがなければ自然回復するのではないかということでした。
これからもしばらくは病院へ通い、椎骨動脈解離の進行具合を確認する必要はありますが、11月16日、母は退院しました。
体と心が悲鳴をあげる。
母が入院していた4日間のストレスがついに爆発してしまったのでしょう、母が退院したその日の夜、ぼくの体と心は悲鳴をあげました。
頭や手足がしびれているような感覚があり、血圧を測ると「168/120」とかなり高い数値。どか食いをしたわけでもないのに胸焼けを感じており、不意に泣き出すようになりました。
その状態はしばらくつづき、そして少しずつ落ち着いていきましたが、この記事を書いている今もまだ頭がぼんやりしています。
何もできない「自分」と向き合った4日間。
母が帰って来てくれてよかった。でもこの4日間、母がいないと自分はどうあがいても生きていけないことを再確認したし、ストレスもすごかった。いま、血圧が馬鹿に高く、気持ちが悪いのも、胸焼けがするのも、そのストレスのせいかもしれない。とにかく、嬉しいけど悲しい。情けない。
— 黒井@ネガティブ (@961373) November 16, 2019
母のいない間、コンビニへご飯を買いに行くこともそうですが、他にも「普段しないこと」をしました。それは「家事」です。
普段は母任せにしている家事ですが、母のいない間は自分で洗濯をしたり、使った食器を洗ったりしました。
日頃から「自分は何もできない人間なのだ」と自己否定的に生きていますが、自分が「できない」と思っていることの中には「やれば簡単にできること」があることに気づきました。
ぼくは普段、爪を切ることやひげを剃ることさえ「だるくてできない」と言います。うそをついているつもりはありませんが、やはり「できない」というほどではありません。
彼女が家に遊びに来てくれるときには、だるくても爪は切りますし、ひげも剃ります。
本当に「だるくてできない」ときは仕方がないとしても、つねに「だるくてできない」状態ではないはずです。
容易に「できない」と決めつけず、できそうならやってみる。
「できない」ことは「できない」でいいけど、ちょっとでも「できそう」ならやってみるようにしようと、そんなふうなことを考える4日間でした。
とにかく今は……
だるくてなにもできそうにありません。
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