まいど。
2023年2月21日。何度目かの庭キャンプを決行した。10時半から自転車をこいで食材の買い出しへ行き、帰ってきたら庭キャンプの準備。記事にはしなかったけど、前回は焼き鳥リベンジを果たしたので、今回は初心にもどって焼肉をすることに。
「面倒くさいこと」と「楽しいこと」はイコールかも。
弟夫婦が、母の誕生日プレゼントにアイリスオーヤマの電気圧力鍋を贈った。もちろんそれは母に贈ったものだけど、使って良いよということだったので、さっそく電気圧力鍋で家族分のビーフシチューを作った。
以前、自分で作ったときは、肉を柔らかくするために赤ワインやキウイと一緒に肉を漬け置いたり、何時間も台所に張り付いてじっくりことこと煮込んだりして大変な思いをした。それが電気圧力鍋を使うとほとんどほったらかしで作れちゃう。
あまりの手軽さに感動したのもつかの間、次の瞬間には違和感を覚えていた。
電気圧力鍋は便利で、ふだん料理をしない人や、料理を苦手としている人にはうってつけだけど、料理をするのが好きな人にとっては楽しみを奪う装置でもあるんだなぁ、と感じたのだ。
そこで思い出されたのが、去年末からのマイブームである「庭キャンプ」だ。
家の庭だから手軽ではあるものの、ふだん自分では行くことのない食材の買い出しから、庭キャンプで使う道具の準備。庭で椅子やテーブル、コンロなどの組み立てをして、簡易的な炭に火を入れる。
そこにある玄関から家の中へ入ってしまえば、調理も食事もすぐできるのに、あえて庭で面倒くさい手順を踏む。面倒くさいことと楽しいことはイコールなのかもしれない。ただそれを「面倒くさい」と捉えるか「楽しい」と捉えるかの違いでしかないのかもしれない。
そんなことを考えていたので、今日の庭キャンプはいつも以上に楽しく感じられた。
気がする。
うわさの「沼」
趣味やなんかにこだわりが芽生え、いろいろなものが欲しくなることを「沼」と言ったりする。
私、というより私と彼女は今、キャンプギアの沼の中にいる。まだ沼に足を取られているだけかもしれないけど、ここはもう沼の中だ。キャンプの先輩方が、遠くの方で、肩まで沼に浸かったまま私たちに手招きをしている。こっちにおいで。みたいな。
今日は2月とはいえ、強い日差しがあり、庭は暖かかった。
太陽を背にするようなかたちで椅子に腰かけ、目の前には炭火。めらめら燃える焚き火とは違うけど、炭火でも近くにいるとけっこう暑い。
汗だくになるほどではなかったものの、これから春になり、夏になることを考えると、暑さ対策が必要になる。燃え残った炭火を見ながら彼女とそんな話をしていた。
タープがほしい。
タープとは、日陰を作り、その中でまったりするための道具だ。テントを寝室に例えるなら、タープはリビング。正確に言えばリビングをより暮らしやすくするアイテムかなぁ。
庭には物干し竿があるので、ここにタープをかけて片方は庭の柵に、もう片方はロープを張って地面にペグを打って固定すれば、小さなスペースでもタープを張ることができるかもしれない。
こうしてずぶずぶと、沼に飲み込まれていく。
あとは死ぬだけだからお金を使うことなんてないと思っていた。
中卒だし、ひきこもり気味だし、働く気もないし、このまま行けば親が死ぬまでこの家に居座って、親が死んだらホームレスにでもなって、どこかで死ぬだけだろうということが、常に頭の片隅にある。
その考えを前提にすると、何か欲しいものがあっても「どうせもう死ぬだけだしべつに要らないか」となるので、年々物欲がなくなっていった。
このブログを始めて、ちょっとしたお小遣いを稼げるようになった頃は、いろいろ買ってみたりして、それを紹介していたんだけど、実は年を負うごとに「欲しい」と思わなくなっていた。
ところが、彼女と同棲するようになり、とくに最近は自転車で出かけたり、庭キャンプをしたりするようになって、物欲が息を吹き返してきているように感じる。
どうせもう死ぬだけだからものを欲しいと思わないのではなくて、たんに何もしていないからものを欲しいと思わなかっただけなのかもしれない。
まあ、そんなことが分かったところで、ニートに金があるはずもないんだけど。
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