自分にご褒美あげてます?安くてもいいから自分にご褒美をあげよう。

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自分にご褒美、あげてます?

そんなに難しいことじゃありません。自分へのご褒美といったって、アメ玉ひと粒でもいいんですよ。

問題はその「アメ玉」をちゃんと「ご褒美だ」と思っているかどうか、にあります。

人間のモチベーションというのは不思議で「モチベーション維持」について考えれば考えるほど、モチベーションを維持するのが難しくなってしまうものなんです。

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ご褒美は安くてもかまわない。

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冒頭で「ご褒美はアメ玉ひと粒でもいい」といいましたが、まさに、それです。

自分へのご褒美に「ちょっと高いけどアレを買おう」というのもいいかもしれませんが、その「ちょっと高いもの」を「たまに買う」より、安いものでいいから「ちょくちょく」ご褒美を与えたほうがいいでしょう。

なぜなら「モチベーションの高下は自分に何を買ってあげたか」で起こるものではないから!

「良いものを買った」からモチベーションが上がるのではなくて「ご褒美をもらえた」からモチベーションが上がるんです。

だから問題は「それをご褒美として捉えるか?」なんですね。

ぼくは自分にCDを買ってあげました。

D.W.ニコルズ_Lifeのジャケット写真

大好きな「D.W.ニコルズ」のベストアルバム「LIFE」を自分へのご褒美として買いました!

これこれ!

「てめえのご褒美なんて知るか!」

と、いわれそうですが、こうして「ブログに載せる」ことで、ぼくとしては「これはご褒美なんだ」と確認しているんです。

ひらたくいえば「自慢」してるんですよ。

世間では「ほら見てよこんなの買ったんだ!」とか言えませんよね。ましてや「どうだいいだろ〜」と自慢をしようものなら・・・ちょっと想像もしたくありませんね。

でも「ブログ」や「ツイッター」では違います。

「まだこんな時間だけど、かんぱーい!」
「新しいパソコン買っちゃった!」
「明日ディズニー行くんだ!」

けっこうみんな、こういうことを投稿してますよね。

インターネット上で「アラシ行為」や「誹謗中傷」をして憂さ晴らしをするのはどうかと思いますが、普段はいえないような「ちょっと聞いてよ!」ということや「自慢話」くらいなら良いと思うんです。

自分へのご褒美は、自分のなかだけで消化するより、誰かに見せびらかしたり、自慢することで、よりいっそう「これは自分へのご褒美なんだ!」と思えるようになります。

あなたもこの記事のコメント欄に「最近こんなの買ったよ!」というものを書き込んでみてはいかがでしょうか。

もっとも「お手軽」な自分へのご褒美って?

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手軽なのは「お菓子」ですね。

「アメちゃん」でもいいし「ガム」でもいい。

たとえば「1時間がんばったらアメちゃん1個」というのでも、ちゃんと「自分へのご褒美」になります。

最初のうちは「アメちゃんのために頑張ってもなあ」と思うかもしれませんが、やっているうちに、その「アメちゃん休憩」がクセになってきますよ。

なんども言いますが、

問題は「それをご褒美として捉えるか?」です。

それでもモチベーションが上がらないときは「それに従う」こと!

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ぼくは「だるい」とか「やる気がでない」という気持ちを大切にしています。

「表現」をしたり「創作」をする人は、どうか「自分の気持ちに敏感に」なってほしい!

クリエイティビティの源は「気持ち」だと思うんです。

ブログでいうと、ブロガーが「楽しんで書く」と「読む側も楽しく」読めます。

その人の気持ちは、文章にしてもイラストにしても、必ず浮き出てくるんです。

それに「だるさ」などは「虫の知らせ」のようなものだとも、考えています。

だるさというのは大事な感覚だ。だるさを単なる怠惰な気持ちとして無視するんじゃなくて、もっとだるさに敏感になったほうがいい。
だるさを感じるときは、「体調が悪い」とか「精神状態が悪い」とか「今やっていることがあまり好きじゃない」とか、そうした漠然とした現状への違和感が体や気分のだるさとして表れているのだ。
だるさというのは、ちょっと休養したり方向転換したりしたほうがいい、という体からのシグナルなのだと思っている。

しないことリスト_Pha_P71より

ぼくは上の「Phaさん」の考え方に激しく同意します。

「だるい? 何を言っているんだ! 働け!」

というのは、もうどこか人間じゃない感じがするんですよ。

それじゃあ「働くために生きている」みたいじゃないか。

社会は「人ありき」です。その場所に人が集まってきて、集団生活をする上で必要な「社会」が生まれる、というのが正しい流れでしょう?

だから「社会を成り立たせるために生きる」なんていうのはおかしい。

ぼくの考えは甘いかもしれませんが、本当なら・・・

「だるいから早退します」

が、許される社会じゃないと、おかしいんじゃないかって、思うんですよ。

社会ないし会社はそう簡単に変わってくれるものではありません。だから「ご褒美をやってもモチベーションがあがらない」であるとか「やる気が出ない」とか「だるい」という気持ちを見つけたら、自分のできる範囲でそれに従うことです。

諦めて、

「今日はもうダメだ」

と言ってしまうほうが、結果的に仕事にも早く戻ることができるはず。

仕事は力を抜いて、楽しく行われるべきです。

でもそんなことばかり言ってられないのが現実。だから可能な限りは「自分へのこまめなご褒美」でなんとか頑張れればいいですよね。

あとがき

あとがき

ブロガーとしては良くないことですが、ぼくも「今日はもう書かない日にしよう」と決めてしまうことがあります。だるいから今日はもう書かない! そう決めると、不思議な事に、翌日にはちゃんと書けるんですよね。

反対にだるさに気づかず「書かなきゃ!」と思っている状態では、いつまでも「書けない日」が続くことになります。いかに早く「だるさ」に気づいてやれるか。けっこう大事なことです。

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