「ブログを書けなかった日」があるからぼくはまた「ブログを書く」のだと思う。

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まいど!黒井(@961373)です。

昨日(16年9月2日)は朝から心身ともに調子が悪く、ブログを書くことはそうそうに諦めるより他はありませんでした。

でも、

「ブログを書けなかった日」があるからこそ、ぼくはまた「ブログを書こう」という気持ちになるのかもしれないなぁ、と思うんですよ。

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ブログを読んでくれる人は「大事な人」なんです。

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ぼくは友だちが少ない。というとラノベのタイトルみたいですけど、事実、ぼくは友だちが少ない。まったく「いない」といってもいい。

でも、

でも個人的に「大事だなぁ」と思う人はたくさんいます。

両親とか兄弟とか恋人……

ブログを読んでくれる人も大事です。

もう10年以上前になります。

ぼくはまだ歯を食いしばって学校にかよっていて、そしてイジメられていました。クラスメートはみんな、ぼくを「いないもの」として扱っていたんです。

ぼくの声を聴いてくれる人は、先生を含め、どこにもいませんでした。

悪口を言われたり、殴られたりすることも多かったし、お金を強請りとられたり、ムチャな命令で脅されたりもしました。

でもイチバンしんどかったのは「無視」だったなぁ。

最初はどうってことないんですけど、少しずつ恐ろしくなっていくんですよ。

ブログの記事は、これを読む不特定多数の人からすれば黒井が勝手に発信したものとして目に映るでしょう。

でもぼくは記事を読んでくれる人と対話をするつもりで書いています。

語りかけるような言葉遣いをするのもそのためなんですよ。

コメントを書いてくれたり、ツイッターでリプを送ってくれたりすると、一瞬ドキッとするけど、すごく嬉しいんです。

自分の声が誰かに届くことって、喜びなんですよ。

ブログを読んでくれる人は、賛成にしろ反対にしろ、少なくともぼくの声を聴いてくれる人なワケだから、ぼくからしたらすごーく「大事な人」ということになります。

でも、それは常に意識しつづけられるワケじゃないんですよ。

「ブログを書けなかった日」にしか見えないもの。

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「ブログを書けなかった日」にはあるものが見えるんです。

それは「人」です。

「たのぶろ」ではGoogleアナリティクスによるアクセス解析を行っています。アクセス解析上では、すべてのユーザーの出入りが数字で示されます。

その数字は、ふだんは「ただの数字」に見える。そしてそれを頭のなかで「人間に置き換える」んですね。

でも、

「ブログを書けなかった日」は、どうしてか、最初から「数字でなく人間に見える」んです。たくさんの人がブログに訪れているように「感じる」んですよ。

するとまたブログを書きたくなる。

いまの時代、ブログやツイッターなどで誰でも簡単に情報を発信できます。現実世界では無視をされてしまうようなことも、インターネット上ではマジメに捉えてくれる人が必ずいるんです。

現実で繋がっていられる人数と、インターネットの利用者の人数では、そもそも分母が違いますからね。

インターネット上の文章は誰が読むか分かりません。

だから反対意見に出くわすこともあるでしょう。そういう恐怖はつねにあります。でも誰にも届かないということはないんですよ。

クラス中から無視をされていたぼくのツイッターのフォロワーは、この記事を書いている現時点2,356人にもおよびます。

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以前のぼくにはあり得ないことでした。

「たのぶろ」を読んでくれる人は1ヶ月で60,000人以上。

ブログとしてはまだまだ小規模ですけど、ブログを書けなかった日にこそ、この60,000という数字を「かけがえのない人」のように感じるんですよ。

いま、この記事を読んでくれている人……

ありがとう!

ついでに他の記事も読んでやろうという人はもっとありがとう。また明日も見に来ようという人はもっともっとありがとう。

あとがき

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これは日記です。大半の人は「お前のことなんて知るか!」と思ったでしょうけど、書きたいことだったので書きました。

誰に何と言われようとも後悔はしません。

言いたいことを言うことがこんなに清々しいことだったのか、ということを知ったのも、ブログを初めてからだなぁ。

うつがひどくなって、ぐーんと落ち込んで、そこから少し回復してくると、いろいろなものへの感謝の気持ちが無限に溢れてくるんです。

だから頑張らないとね。

ほどほどに。

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