まいど!黒井(@961373)です。
ぼくは小学生、中学生のころにイジメを受けていました。中学2年生の秋口には学校に行けなくなってしまい、登校拒否をし、そのまま高校受験をすることもできず、いまに至ります。
よってぼくの最終学歴は中学卒業すなわち中卒です。いまだに外へ出るのには苦痛をともないます。すこ〜しずつ慣れてきてはいますけどね。
現在ぼくの収入はブログから得ているものだけであります。
実質的にはニートですが、ブログを書くことで収益を得ているので、なんにもしていないワケではない。ということが、ぼくにとって唯一の救いなんです。
ぼくは2015年にブログを始めてから、多くのことを学びました。それはほんの些細なことかもしれません。でもぼくにはそのひとつひとつがとても価値のあるもののように思えるんです。
なかでも……
- 言いたいことを言うことの大切さ。
- 味方は必ずどこかにいるということ。
- 言葉は武器になるということ。
以上の3点は、どれもぼくのように心が敏感な人間が生きていく上でとても大切なことです。ぼくはこれらのことをブログから学びました。
【1】言いたいことを言うことの大切さ。
言いたいこと、言えてます?
きっと多くの人が「言いたいことがあっても言えないことってあるよなぁ」と感じたことがあるハズです。さすがにあからさまな敵意を持って発言することはどうかと思いますけど、不平不満のたぐいはどんどん言っていくべきです。
幼いころのぼくは、まさしく「言いたいことを言えない子ども」でした。
イヤなことを「イヤ」と言えず、やめてほしいことを「やめて」と言えず、不満に思っていても「言われたからやろう」とだまって実行する。
ぼくは典型的な「真面目な日本人」だったと言えます。
言わないでガマンするのはもうイヤだ。
いまとなって思うんですが、末っ子どうしの両親の間に長男として生まれたぼくは、弟であり、妹であった両親から「理想の長男像」を押し付けられていたのかもしれません。
ぼくはいつも……
- お兄ちゃんなんだからガマンしなさい。
- お兄ちゃんなんだから弟に優しくしなさい。
- お兄ちゃんがしっかりしていないから叱られるのよ。
と、言われて育ちました。
何があってもぼくはガマンしなければならなかったし、怒って弟とケンカをするといつもぼくだけが叱られたんです。
弟が親に叩かれているところや、家の外に追い出されているところなど、見たこともありません。ぼくはガマンし、耐えて、ゆずり、叱られるのが「ふつう」だったんです。
ブログを始めて「言いたいことを言う」ことを学びました。
あるときイケダハヤトという方のブログを見つけました。イケダハヤトさんは「人を逆上させるようなタイトルの記事」をたくさん書いていて、当時のぼくはビックリしたんです。
それから……
こんなふうに書いてもいいのか。
と、思いました。
ぼくはあまり煽るようなことはしませんが、それでも、自分が「これって絶対おかしいよ」と思っていたことや「世の中がもっとこうなってくれたらいいのになぁ」ということを、思うままに書けるようになったんです。
関連:言いたいことを言うのって気持ちいい!これぞブログの醍醐味ですよ。
【2】味方は必ずどこかにいるということ。
ワンピースというマンガをご存知でしょうか。いまや知らない者はいないというほどの人気マンガですね。でもぼくはワンピースが嫌いだったんです。
いかにもという感じのセリフがダイキライだったんですよ。
なかでも嫌いだったのが「ハグワール・D・サウロ」というキャラクターが、主人公の仲間である「ニコ・ロビン」に言ったセリフです。
海は広いんだで……いつか必ず!!!お前を守ってくれる「仲間」が現れる!!!
この世に生まれて一人ぼっちなんて事は絶対にないんだで!!!!
こちらの熱いセリフが、ぼくは嫌いでした。
友だちすらできたことがなかったぼくにとって仲間や味方といった言葉はありえないものの象徴でしかなかったんです。
じゃあ、ぼくは何なんだよ。
上のシーンを読んだぼくはそうつぶやいて、うつむき、悲しいのか、切ないのか、悔しいのかも分からないまま涙を流したことを、いまでもよく覚えています。
発信し続ければ「気づいてくれる人」が現れる。
ブログを始めて、少しずつ言いたいことを言えるようになってきても、ときどき、途方のない虚しさを感じることがありました。それはまるでどこまでも底のない井戸に石ころをぽーんと投げ込むような虚しさです。
言いたいことを言っても、どれもぼくの独りよがりで、誰の胸にも届いていないのではないかという恐怖にも似た虚しさが、胸の中に、ときどき現れました。
しかし、それでもめげずにブログを更新しつづけていると、少しずつ、ブログを読んでくれた人からメッセージが送られてくるようになったんです。
最初はツイッターで、ぼくの記事をイイねしてくれたりリツイートしてくれる人が現れました。びっくりして吐きそうになったけど、嬉しかったなぁ。
ブログ記事にコメントをつけてくれる人も出てきました。
ブログにメールフォームを設置すると、お仕事の依頼のメールが来たり、ブログの書き方を教えてくれというメールまで来るようになったんです。
何もアクションを起こさない限り、ぼくはひとりだったかもしれません。でも発信しつづければ、必ず誰かが受信してくれるんです。
同時に「気づいてくれない人」も現れます。
好意をもって接してくれる人が現れる反面、敵意をもってやってくる人もいます。でもぼくにとってはこちらも立派なコミュニケーションであると思っていますし、同じように嬉しいんです。
たとえば、ついさっき……
相変わらず、オウチで楽していたいことへの正当性をあれやこれやと語っていますね。
だからいいのよ、そのまんまで。でも本当は怖いんでしょ?年を取ったらどうなっているかとか。私のお祖母ちゃんがよく言ってたわ。
「金儲け(お仕事)と死に病(死に至る病)ほどしんどいことはない」
う~ん、明治生まれの人はいいこと言うわね。
ニートのぼくが「働きたくない理由」と「ニートでもできる仕事」についてという記事に、上のようなコメントがつきました。否定的なコメントですが、それでも嬉しいものです。
言いたいことを言った結果としてそれを否定しようとするコメントが付くのは当然です。何の価値もない言葉に対し反論をする気にならないのと同じように、何の価値もない記事にコメントは付けないでしょう?
そう考えると、ちょっぴり嬉しくなるんです。
言葉は武器になるということ。
直接会ってコミュニケーションを取らなければならない機会は、これから減っていくでしょう。でもテクノロジーがどんなに発展しても言葉はなくならないと思うんですよ。
電話もハガキもない時代は、人と人がコミュニケーションを取ろうと思ったら、直接会って話をするしかありませんでした。
コミュニケーションの本質は「言葉」ですよ。
今では電話でさえ厄介に思っている人も多いのではないでしょうか。さほど重要でない連絡はメールにしてくれよ、という具合に。
若い世代の人たちの間では「メールは面倒くさいからLINEで送って」とか「Twitterで送って」というやりとりがされているでしょう。
コミュニケーションの形態は変われども、コミュニケーションの本質はいつまでも残ります。それが言葉です。だから言葉だけはなくならないし、むしろこれからもっと大事になってくる可能性すらありますよ。
文章力があれば「食っていく」ことができます。
ざっくり言うと文章力があれば食っていけるんです。かくいうぼくはまだひとりで暮らせるほど稼いでいませんが。あはは。
ぼくはライティング・スキルは一生モノであると考えています。ウェブ上での情報はそのほとんどが文章ですからね。
文字どおり、文章力があれば、生きていけるんです。
ぼくがブログから学んだ3つの大切なこと、まとめ。
- 言いたいことを言うことの大切さ。
- 味方は必ずどこかにいるということ。
- 言葉は武器になるということ。
ぼくはいつもみんなブログを書けばいいのにと思っています。それは楽しいよということだけが理由ではありません。
世間や社会に対して抱いている不安・不満や、ちょっと言いにくい自分の趣味なども、言葉にして、ブログに投稿してみると、案外に「わかるわかる!」と言ってくれる人がいるものです。
好きなものを好きと言えず、嫌いなものを嫌いと言えない世の中で空気を読んで生きていくのでは、人間が持っている「欲望」は満たされませんよ。
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