コミュ障だけど飲み会に行ってみた。そこで学んだ1つのこと。

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考え事

まいど!黒井(@961373)です。

数日前のことになりますが、はじめて知らない人の参加する飲み会に行ってきました。

知らない人というのは「弟の彼女」です。

弟の彼女は何度かウチに遊びに来ているので、両親とは仲良しになっている様子です。しかしぼくは意図的に彼女との対峙を避けてきました。

その理由は……

ぼくがコミュ障だからです。

しかし今回、彼女を交えての飲み会を行うことを知り、ぼくは勇気をふりしぼってこれに参加することを決めました。

すると、ある1つのことに気が付きました。

それは……

大勢での会話の輪に入れないときに感じる、居心地の悪さは、そのコミュニケーションに「参加」することでしか解消されないということです。

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ぼくが彼女を避けてきた理由。

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ぼくが弟の彼女を避けてきたのにはいくつか理由があります。

【1】コミュ障。

まず冒頭に書いたコミュ障であるという理由です。そもそも他人とコミュニケーションをとることに強い不安と恐怖を感じていました。

【2】ニート。

また、ぼくは実質ニートです。

ブログからの収益がいくらかあるだけで、職に就いているワケでも、学校に通っているワケでもありません。

ぼく自身はニートで何が悪いと思っています。

現代の社会においてお金のため・家族のためという理由を抜きにして、心の底から働きたいと思っている人がいるのだとしたら、そっちのほうが異常ですよ。

でも……

レッテルを貼るのはいつだって他人です。

コミュ障であることからもお分かりのとおり、ぼくは心の敏感な人間なのです。常にネガティブで、簡単に動揺してしまいます。

ですから、自分ではニートで何が悪いと思っていても、ニートというレッテルを貼られることには心底から怯えていたのです。

【3】ひきこもり。

そもそもという話になりますが、ぼくはひきこもりです。正直なところを言うと外に出るのが怖い。

今回は両親と一緒だったので外に出ること自体は割に平気でした。でも「ひとりで」というのはダメですね。

ひとりでの行動範囲はせいぜい近所を散歩する程度の範囲です。コンビニなどのお店に入るのもためらいます。

お店のレジに立つと、しんしんと雪の降る季節でも全身にじっとりと汗をかきますし、手の震えや動悸、思考停止など、さまざまな症状が出ます。

社会的・社交的なシチュエーションがことごとくニガテなのです。

プライベートな話をするのならまだマシというところですが、社会的なコミュニケーションを取るのは本当に恐ろしい。学校という社会的な組織内でイジメを受けていたことが根源にあるのかもしれません。

25歳にもなってあまりの恐怖に「となりにいてね」と母に言いました。

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書こうか書くまいか悩んだのですが、恥ずかしいという気持ち以外に隠す理由がないので暴露します。

当日、ぼくはあまりの不安と恐怖に「となりにいてね」と母に助けを求めました。

自分の心と体を守るための行動であり、また、挙動不審になったり、嘔吐したりなどで飲み会をダイナシにしたくないという気持ちもあったのです。

居心地の悪さは「参加」することでしか解消しない。

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今回の飲み会で分かったことが1つだけあります。それは居心地の悪さはコミュニケーションに「参加」することでしか解消できないということです。

ぼくは「心を守る」代わりに「失敗」していたんです。

ひっこみ思案でコミュ障の人間は、大勢での会話のに入ろうとしません。反対に発言せず、息を潜め、気配を消そうとします。

これは恐怖や不安に対する防衛本能による行動です。

でも……

この状態では「居心地の悪さ」や「疎外感」をいっそう感じてしまいますし、会が終わるまでの間中、ずっと居心地の悪さに「耐えつづけ」なければなりません。

そしてぼくは……

この「居心地の悪さ」がトラウマとなり「大勢での会話はニガテだ」という意識をより強固なものにしているのではないかと考えたのです。

防衛本能により息を潜めて気配を消すという行動をとることで、自分の心を守る代わりに失敗体験を積み重ねていたとも言えます。

ニガテ意識を解除するには「成功」するしかない。

ニガテ意識を取り払うには小さな成功体験を積み上げていくしかありません。それはつまりコミュニケーションに参加するということです。

よって……

大勢でいるときの居心地の悪さや疎外感から抜け出し、ニガテ意識を取り払うには、コミュニケーションに参加するしかありません。

【後日談】ぼくは自らの意志で彼女と対面しました。

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飲み会の翌々日、弟が彼女を連れてウチにやってきました。ぼくはそのとき2階にある自室にいましたが、なんとなあく、階下が賑わっていることを察知します。

すると母から……

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このようなメッセージが送られてきました。

ふだんのぼくなら「持ってきて」と送り返したでしょう。でも居心地の悪さは参加することでしか解消されないということに気が付いたぼくは、自ら階下へおもむき、賑やかで、まぶしい世界に参加するのでした。

症状は出る。でも居心地の悪さはもうない。

成功体験は何度も何度もくりかえし、積み上げていくことでしか効果を発揮しません。最初のウチは当然のように症状が出ます。

いよいよ秋に入ったなという冷たい空気のなかにあっても、コミュニケーションを取ろうと考えただけで赤面し、汗びっしょりになってしまいます。

あの耐えがたい居心地の悪さは、沈黙があったり、自分の発言に誰もリアクションをしてくれなかったりすると感じることもありますが、それ以外ではほとんど感じなくなりました。

会話の相手も居心地の悪さを感じていた?

もう1つ気付いたことがあります。

それは……

ぼくのおどおどとしたコミュニケーション、あるいはその一挙手一投足が、ぼくだけでなく、会話の相手にも「居心地の悪さ」を感じさせていたのではないかということ。

確証はありませんが、可能性としては充分にあるのではないでしょうか?

関連本はコミュ障を理解して彼らの能力を引き出す方法を扱った一冊。自身がコミュ障であるという人だけでなく、コミュ障をわずらう人と付き合っている方にもどうか読んでいただきたいのです。

 

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