まいど、黒井です。
子どものころは何にでも熱中して楽しむことができました。
ところが、今では、子どものころから好きだったはずのゲームをプレイしても、アニメを見ても、音楽を聴いても、本を読んでも……
何をしても楽しくない……
かれこれ10年くらい続いてるのかなあ。
打てど響かず。
楽しくないというより、何も感じない。
風船を殴るかのような手応えのなさ。遅れて湧き上がってくる虚しさ。
「何をしても楽しくない」という状態になってしまうのにはいくつもの原因があるでしょう。疲れているだとか、うつ状態になっているだとか、神経が過敏になっているだとか……
しかし一番の原因は「そもそも自分自身に楽しむことを許していない」ということなのかもしれません。
何をしても楽しくないのはこころの奥にある「罪悪感」のせいかも?
子どものころ学校をズル休みしたこと、ありませんか?
学校をズル休みしたときのような罪悪感。
最初は「みんな学校へ行ってるのに自分だけ遊べるという優越感」を味わうことができるけど、それは次第に「罪悪感」へと変化します。
「みんなは学校へ行っているのに、自分ばかりこうして遊んでいていいのだろうか」
そう感じてしまったが最後、もやもやとただよっていた「罪悪感」は「そわそわして落ち着かない」という症状となり、身体にあらわれます。
ふくらんだ罪悪感が楽しむことを許してくれない。
罪悪感は「そわそわして落ち着かない」という症状を引き起こし、それから「自分が楽しむこと・幸せな気持ちになること」を禁止するようになります。
ここまで罪悪感がふくらんでしまうと、もう何をしても楽しくありません。
罪悪感に対抗する「自己肯定感」を高めよう。
罪悪感というのは本人が「そう感じているだけ」で、周りから見れば「べつにそこまで自分を悪く思わないでいいのにね」ということが多い。
このようなギャップは「自己肯定感」によって生まれます。
自己肯定感が強ければ罪悪感を抱かずに済む。
自己肯定感とは「自分に○をつけること」です。
[kanren postid=”4507″]
自己肯定感の地盤があると、むやみに罪悪感を抱かずに済みます。
もしも罪悪感で胸がいっぱいになってしまったら「自分に○をつけて認めてあげる」ことです。
やり方は簡単。
「そんな俺/私もいいね!」と声に出すだけ。
【あとがき】楽しむことを許す。
ぼく自身「何をしても楽しくない」という状態に悩んでいる最中です。
しかし、ここに書いたことを実践していくことで、少しずつ「自分を許す」ことができるようになってきました。
いよいよ「楽しむこと」を許すときだ!
ということで、そのきっかけとして、ある大きな買い物を計画しています。そのことについては、また別の記事で。
計画を実行に……!
[kanren postid=”5020″]
コメント