ぼくはこの速度の社会にはついていけないな、という話。【ニートの思うこと】

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考え事

まいど、黒井です。

昨日、今日と記事を書きませんでしたが、ぼくは生きています。さすがに【痛風】の再来じゃないとは思いますが、また足が痛くなってきちゃってね。ちょっとまいっちゃってます。せっかく【5キロ痩せた】のに、体重、もどっちゃったかなあ。まあ、ゆっくり痩せていければいいや。

ぼくには「傷つく」と分かっていながらもついやってしまう悪いクセがあります。それはYouTubeで「ニート」とか「引きこもり」と検索をかけてしまうこと。

元日本最強のニート「Pha」さんのような、ぼくにとって明るい希望になってくれる動画を求めての行動なんですが、やっぱり、検索結果に出てくるのは・・・

ニートは働け!

みたいな動画ばっかりで、ずーんって、なっちゃうんですよね。

そういう動画を見て思うのは「人って怖いな」というのが一番大きいかな。それから「弱い者に対してとことん強いよね」とも、思う。

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やりたくないことをやってお金をもらって、本当に楽しいんですか?

zentei

ぼくはのんびりブログを書いて月5万円くらいの収益を得て暮らしています(といっても実家ぐらしのスネカジリです)が、そんなぼくの目から見て、社会に出て働いている人は「すごいな」と思う。でも「偉いな」とは思えないんですよね。

やりたくないことはやりたくない!

というのは当たり前の考えだと思いますが、社会人から言わせれば「それでも働かなければ生きていけないんだ」ということなんでしょう。

その考えも分かりますし、いまのところは真っ当な生き方なんだとも思います。でも、ぼくはそれでも、やりたくないことはやりたくないなあ。

きっとぼくの「やりたくない!」は多くの人にとって「しょうがない」という程度の認識なんだろうと思うんです。

だって、みんな割に楽しそうに生きてますもんね。

でもぼくにはムリだろうなあ。

ぼくには「父の会社に無理やり連れて行かれていた時期」があるんですが、そのときはもう地獄でした。たった1ヶ月でしたが、ぼくはその間に20キロ近く太りました。

朝早くから出かけて、職場に15時間拘束され、家に帰ったらご飯を食べて寝るだけ。ぼくなんかは睡眠障害があるからほとんど眠れない日もあります。それでも朝には起きて、仕事に行って・・・

まるで自由のない生活だったなあ。

そりゃあね、もっと体力があって、元気で、パワフルな人からしたら、仕事が終わってからが本番だ! とばかりに夜の街に繰り出す、なんてこともあるんでしょう。

でもやっぱりぼくにはムリだろうなあ。

社会人の姿を見てぼくが思うのは「このスピードで生きていくことは自分には不可能だ」ということ。

社会がグローバル化してスピードが上がれば上がるほど脱落者が出るのは普通なんじゃないかしら。

走り出す

当然、社会がグローバルになればなるほど、通信技術が発達すればするほど、仕事もスピーディになり、人はもっともっと「質より量」的な働き方を迫られることになります。

量産やスピードでは人間が機械に勝てないことなんてわかりきっているのに、どうしていまだに人間がたくさん働かなくちゃならないんだろうなあ、なんて、思ったりするんです。どうしてなんでしょうかね。ぼくにも分かるように説明してくれる人とかいないかしら。

人件費と設備投資とでは、まだ設備投資をしてロボットをたくさん導入するほうがお金がかかっちゃうのかなあ。

近い将来にはクリエイティブな仕事すら人工知能に任せたほうがコスパが良い、なんていうことになっていそうですけど、ぼくの見立てが甘いだけでしょうか。

少なくともここまで「スピード重視」の社会になってしまっては、そのスピードについていけないということで脱落していく人が出てきますよ。

「今の若いやつはみんなすぐに辞めちまう根性無しだ」

なんて言いますけど、今と昔じゃあ、ひとり当たりの仕事量も、若いひとにのしかかる負担も段違いですよ。正直ぼくはこんなデタラメな速度のなかでは生きていけないし、そんな生き方は人生をムダにしているように感じてしまう。

平日は働き、土日で体調を整える。

また月曜日になったら働いて・・・

なんて、ぼくには絶対にできないでしょうし、それが「当たり前」になっている現代社会には疑問すら抱きます。

社会を拡大していこうというのは分からないでもないけど、いつか人間の手に収まらない大きさにまでなってしまって、人が社会を作っているはずだったのに、社会に人が殺されてしまうようになりそうで、なんだかおっかない。

そして「社会に人が殺される」ことは、もうすでに現実に起き始めていますよね。過労で亡くなってしまったり、自殺してしまう人は少なからずいます。

ぼくみたいな「何も言えないでウガーってなる人」は、それこそまっさきに社会の餌食になってしまうんだろうなあ、と思うと、いてもたってもいられません。

自力で、ほそぼそと生きていくしかないのかなあ。

人間が生きるのに適したスピードを手放してまで、生き急いでまで、社会をより大きく、より便利にする意味って、あるんでしょうか?

コメント

  1. 今起きている少子化も経済優先の社会のせいで起きていると考えたらまさに社会が人間を排除した結果だと思います。その為に人口が減って経済が縮小。蛸が自分の足を食べるがごとく経済が経済を食べているのではないでしょうか。

  2. みんなでニートになろう。

  3. 今、社会の底辺にいる人々は 核ミサイルだろうが、彗星衝突だろうが、大地震だろうが なんでもいいから 人類殲滅を願っていると思う。 だだ、それを口に出すと叩かれまくりになるので、黙って願っているだけだ。
    人類殲滅の可否については賛否両論がありすぎて、話にならないだろうが、せめて せめて 安楽死を合法化するぐらいは、人間たるもの温情を持ってほしいものだ。
    現に、オランダや欧米諸国ではこれを合法化しており、もう無駄に生き続けるのを止めたい人の権利も補償するべきだと思う。
    首吊りでも、飛び降りでも 実行すれば、突然赤の他人に迷惑をかけるのは必至なのだから、事前にちゃんとお別れもできる安楽死 これ以上良い方法は無いとおもわれる。 本音の部分でも とっくに自殺したいのだけれど、痛いの 辛いの 苦しいのは大嫌いなので、寝てる間に 痛くもなく 苦しくもなく、辛いのはなしで、逝っちゃえる安楽死を望んでいる人は、少なくない。
    勿論、石に齧りついても、他人を踏み台にしても、殺しても 金儲けをやりたいという人もいるだろうから、そういう人々は 頑張って 何でもやってくれて構わない。
    もひとつ提案させて頂けるのなら、人生定年制を施行すれば、少子高齢化やら医療費爆増やらの問題も無くなるし、そもそも 人生計画を立てられるというものだ。
    そして、この人には 定年を超えて生き続けて他の人の為になって欲しいと、本気で考えるなら、自分の定年までの 好きなだけの時間を差し上げるという特例はどうだろう。 私よりも あの人の方が 人類の役に立つと考えるなら、自分の寿命を差し上げれば良いのだ。 一切 お金が絡まないようにプレゼントできるよう仕組みをしっかりと作る必要があるが、不可能ではないだろう。
    最近 TV-CM で あなたは 100歳まで生きる なんてこと言ってるけど、本当に 100までなんか生きたいと思っている人が 大多数なんてとても思えない。
    人生定年が 何歳までなのかを決めるのに、大騒ぎするだろうが、はやくこれを立案、法令化するのが 人類の行く末を本当に考えている政治家であると思う。

  4. 経済を止めたくないのは、すなわち世界から取り残されたくないからだと思う。
    理由は、取り残されると、戦争に不利だから。
    けれどもし中国もロシアもアメリカも、実はそんなに戦争を望んでなくて、世界がハッピーで包まれたとしても、
    人間はそのままで良いのかという疑問が残る。
    いずれ訪れる地球の崩壊まで平和に暮らしたとして、人間には何が残る?
    はじめから生まれてきた理由など無いのだから、滅亡するならそれはそれで良いかもしれない。
    けれど、生まれたからには何かをしたいのが人類であって、電脳化して不老不死の体を得て、
    地球が崩壊した後も、宇宙空間にコンピュータを飛ばして、その中で二次元のアニメキャラとキャッキャウフフ出来るなら、
    そういう世界も体験したいな。
    人類全体が目先の事を考えてばかりいるような気がする。