彼女と一泊二日の旅行へ出かけてきました。
場所は神奈川県の三浦半島。マホロバ・マインズ三浦というホテル。そこへは以前、家族でお世話になったことがありましたが、今回は彼女と初めての旅行。
旅行なんてほとんど家族としか行ったことのない社会不適合者ですが、ひょんなことから彼女ができ、同棲することになり、今度は旅行へ出かけることになろうとは――
旅行が決まってから当日まで。
先に断りを入れておきますが、この記事は「彼女と旅行なんて羨ましいだろう」というものではありません。
旅行から一週間が経過し、この記事を書いている今現在においては「旅行はまあまあ良かったかな」と思えています。
が、今回の旅行およびその準備期間で新たに自分の「こころの問題」に気付かされ、やるせない気持ちになったのも、けっして無視のできない事実。
ただの「彼女と旅行に出かけました」という記事ではつまらないので、せっかくなら自分の「こころの問題」を含めすべてを赤裸々に書いていこう、というのがこの記事の趣旨であります。
小学校の修学旅行。
旅行というキーワードを聞くと、血の気が引くような感覚が生じます。
おそらく小学校の修学旅行を思い出すからなのでしょう。
小学校の修学旅行なんてもう大昔のことですから、あまり詳細なことは覚えていません。記憶そのものが曖昧になっていくのに、当時の嫌な気持ちや不快感はハッキリと残っている。「旅行は嫌な気持ちになる」という概念が、根拠となる記憶を失ってもなお強くなり続けているのです。
ここまでをお読みになれば、私がどのような学生時代を過ごしてきたか、なんとなく分かるかもしれませんね。
ただし、その当時と今現在はまったく違う。もう学校には行かなくていいし、ひとから叩かれたり悪口を言われたりお金を強請られることもない。
頭ではそう理解しているものの「旅行は嫌な気持ちになる」という概念が根拠となる記憶を失ってもなお強くなり続けているのと同じで、「自分はすべての人から嫌われるのだ」とか「自分は生きていてはいけないのだ」という思いが、十分な根拠もなく強化され続けているのでしょう。
そういうわけで自分は未だに「あの頃」のまま、どうすることもできないでいます。
そわそわとわくわくの違い。
旅行が決定してからずっと「そわそわ」していました。
理由は【小学校の修学旅行】で話したとおりです。
今回は自分のことをからかったり虐めたりしてくるひとたちではなく、彼女とふたりきりなのだから、嫌なことなんてないはずだ。
何度もそう言い聞かせてみるものの、この「そわそわ」は改善されませんでした。
そのとき、なんとなく感じたことがあります。
それは「そわそわ」と「わくわく」の違いについて。ひょっとすると「そわそわ」や「わくわく」と表現される身体反応は「同じ」なのではないか?
身体反応としては同じだけど、対象物に希望を見出しているときにはそれを「わくわく」と感じ、反対に不安や恐怖を抱いている場合には「そわそわ」と感じるのではないか?
あんまり「そわそわ」がひどいので、そんなことばかり考えているうちに、旅行の当日を迎えました。
三浦海岸駅へ。
で、三浦海岸駅。
旅行一日目は終始雨降りで、風もひどく、これを受けて私は「やはり旅行なんてやめておけばよかった」とか「働いてもいない自分が彼女のお金で旅行なんてするからバチが当たったんだ」などと、考えるともなく考えていました。
自動思考ってやつですね。
自動思考とは、ある出来事に遭遇したときに、頭の中に自然と浮かんでくる考えやイメージです。自動思考があることで、人は特定の出来事に対して感情が湧き上がったり、行動を起こしたりします。https://www.awarefy.com/coglabo/post/automatic_thoughts
去年に続き「海鮮」で「まぐろ満開セット」
駅から歩いて10分弱。寿司屋「海鮮」で、去年同様に「まぐろ満開セット」を食べました。
今回はあら汁と、北海道産のうにまで食べちゃった。
百円寿司とは違うぜ。
横須賀中央駅へ。
ホテルのチェックインまで時間があるので、横須賀へ。
事前に調べていたなかで、記念艦三笠や、その近くにある三笠公園なんかを見たいねと話していたものの、ここで旅行中一番の大雨&大風で断念。
横須賀ポートマーケットでマーロウのプリンとお菓子を。
ふたりしてびしょ濡れになりながら「横須賀ポートマーケット」まで歩き、お菓子を買ったり、マーロウのプリンを食べたりしました。
ホテル「マホロバ・マインズ三浦」へ。
ホテルに到着。
ウォーターパーク。
結論から言うとこれがいけなかった。
マホロバ・マインズ三浦には、水着で遊べる天然温泉スパ「ウォーターパーク」なる施設が併設されています。
彼女は「せっかくだから」と入りたがったが、私は旅行前からずっと「嫌だ」と言っていた。だからといって彼女をひとりで行かせるのも申し訳がないので、覚悟を決めた。
「覚悟を決める」なんて大げさな、と思うかもしれませんが、個人的にはまったく大げさではありません。私が何度この身体のことで迫害を受けてきたことか。
小学校低学年の頃はガリガリだと言われ、過食に走るようになり太ると今度はデブだチビだと。中学に上がると学校のトイレを覗かれるわ胸を揉まれるわ。自分にとって自分の身体はコンプレックスとトラウマのかたまりなのです。
ですから「覚悟を決めて」入ると、もう本当に最悪でした。
女子大生なのかOLなのか、若い女性のグループが、禁止されているスマホを防水の袋に入れて持ち込んで、動画を撮影しながら大騒ぎ。
彼女に要らぬ心配をかけたくなかったので、温泉プールの中で「足が滑る」なんて言って誤魔化していましたが、このとき私は上手く立っていられなくなるほどのパニックを起こしていました。
二日目。ちょっとそこまで海を見にゆく。
ウォーターパーク以降、私は精神不安定となり、ホテルの夕食や翌日の朝食のことをあまり覚えていません。
ホテルを悪く言うわけではありませんが、あまり大したものではなかった気がします。朝食のバイキングは以前のほうが豪勢だったと思うんだよなぁ。
二日目になると雨が止んでいたので、ホテルを早めに出て海を見に行きました。
三崎港駅へゆき「鮮味楽」で「まぐろ地魚丼」
ホテルと海の間にあったバス停から、バスに揺られて三崎港へ。
あらかじめ目星をつけていた店のひとつ「鮮味楽」で「まぐろ地魚丼」を食べました。
マグロにいくら。地魚はカンパチとサワラ。温かく、酢飯でないご飯の上に分厚い切り身がどーんと乗っていて、写真映えする丼でした。
海鮮丼は冷たい酢飯のイメージだったなあと思っていたら、お隣のテーブルから「ここはご飯が温かいし酢飯じゃないんだね」なんて聞こえてきました。
お寿司屋さんじゃなくて、定食屋さん? だから酢飯じゃなかったのかなぁ。
昼食の後、すぐ向かいにあった「うらりマルシェ」という海鮮やなんかのお土産などを扱う施設があり、ちらっと覗きました。持って帰るのも面倒だし、というわけで何も買いませんでしたが。
横浜そごうは「京はやしや」で「抹茶白玉あんみつ」
帰りがけに横浜駅で途中下車。
横浜そごうの中に入っている「京はやしや」が、彼女のお気に入り。
日帰りで三浦へ行った去年も、帰りに寄り道をして、ここで抹茶パフェを食べたんだったなぁ。
今回は「抹茶白玉あんみつ」と、冷たい緑茶を頂きました。
混んでいてカウンター席になったのですが、となりに来た大学生が女子大生を口説こうと必死になっているのが面白く、ずっと聞き耳を立てていました。
女性を口説こうとする男性は、だいたい「男らしく振る舞う」か「女性に寄り添うように振る舞う」か、どちらかのパターンになる気がします。前者は過去の自分の武勇伝に酔いしれている感じがして面白い。後者は女性に寄り添おうとするあまり徐々にオカマ化していく感じがあって面白い。
口説かれている女性側も、いろいろあって面白いんだけど、女性をからかうようなことを書くと炎上しそうだしやめておこう。
私は基本的に「人嫌い」で、だからこそひとのことを離れたところからよく観察する癖があるのだなぁ、なんて思いました。
そして帰宅。
こうして彼女との初めての旅行は幕を閉じました。
嫌だなと思うことや、不快感が生じることもありましたが、一週間という時間を空けることで「旅行はまあまあ良かったかな」と思えるようになったので記事にしてみました。
スキーマとスイッチ。
私は現在、定期的なカウンセリングを受けています。
一般的な「認知行動療法」ではなく、更に深く無意識の領域に踏み込んだ「スキーマ療法」というものを行っています。カウンセリングはオンラインなので、受けているというより、ほとんど自力でやっているようなものですが。
認知行動療法で扱う「自動思考」の、元になっている「スキーマ」をどうにかしなければ、私の場合はまともに生きていけないだろうという考えのようです。
スキーマ(Schema)とは、人間が経験の積み重ねにより獲得する、外界を限られた情報から理解するための枠組みをいいます。 https://www.awarefy.com/coglabo/post/schema
スキーマを自分なりに一言で説明するなら「自分が無意識のうちに行っているありとあらゆる物事への定義付け」。
スキーマという「定義」があるから、その定義を元に自動思考が生まれ、自動思考をもとに感情の発露や行動が起こる。
そんな感じ。
で、今回の旅行で「自分にはスキーマが活性化される要素(スイッチ)があまりにも多いのだ」ということを実感しました。
スキーマは誰の無意識にも存在するものです。しかしこれが世間一般の定義からかけ離れるほど「不適応なもの」となります。
自分にはこの「不適応なスキーマ」が数多くあり、数が多いゆえにあらゆる場面において不適応なスキーマが反応してしまうのでしょう。
それは「旅行」という言葉を聞いただけで嫌な感じが生じたり、「温泉」や「プール」と聞いただけで自分は入らない。入りたくないと思ったりするように。
私のことを叩いたり、悪く言ったり、辱めようとしたり、お金を強請りとろうとしたりしたひとたちは、きっとまともな人生を送っているのでしょう。私のことなど記憶の片隅にもないのでしょう。
私は改めて自分は虐めを受けていたのではなく、人生を破壊されたのだなと感じました。
などと書いている今も、私の脳裏には「この苦しみは死ぬまで消えない」とか「だから私は早く死んだほうがいいのだ」という自動思考がぽんぽんと出てきています。
覚悟を決めても、私にできることはせいぜい水着でウォーターパークに入ることくらいなので、まさか自殺などできないでしょうから、生きている間にどうにかしたいものだなぁ。
と、無理やり認知を方向転換して、この記事を終わることにします。
最後まで読むひとがいるとは思えませんけども、もしも最後まで読んでいただけたのなら、ありがとうございました。
今回の参考文献として、ことりっぷを貼っておきます。
表紙がかわいいよね。
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