人生が楽しくない人はまず「他人からの期待」を捨てよう。

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メンタルヘルス

まいど!ニートブロガーの黒井(@961373)です。

ぼくはいわゆる良い子でした。

幼いころから両親の言ったことをしっかりと守り、そうすることで両親が喜んでくれるのを、自分の喜びにしていました。

きっと……

人生が楽しくないとかどうしたら楽しく・幸せになれるんだろうと考えているあなたも、ぼくと同じように幼少期を過ごしてきたんじゃないかしら。

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その幸せは「鏡に映した幸せ」ではありませんか?

鏡

子どものころは、あなたがテストで100点をとると、両親は喜んでくれましたね。でも大人になってしまうと違うじゃないですか。

仕事で良い成績を残したとき、上司があなたのことを褒めてくれるかもしれません。でも自分のことのように大喜びしてくれる上司などというのは、ほとんどどこにも存在しないんです。

だから「鏡に映した幸せ」ではいけない。

幼いころのように両親という鏡に映した幸せを自分の幸せだと思い込んだまま生きていると、大人になってから「楽しくない」「幸せじゃない」と悩むことになりますよ。

誰かの期待に応える人生はどこか虚しい。

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ぼくはダメダメの駄目人間です。

  • 外に出ることに恐怖と強い抵抗がある
  • ひとりでは電車やバスに乗れない
  • 人と上手に接することができない
  • そのくせ超がつく寂しがりや
  • 何もかもに恐怖し怯えている
  • アルバイトの経験すらない就労童貞

これらの要素を集めてこねこねしたらぼくができあがります。

ダメダメの駄目人間にかけられた期待。

どこからどう見てもダメダメの駄目人間なのに、両親はそんなぼくにすら期待をしているフシがあるんです。

ぼくがどんな状態になったとしても、その現実を受け入れてはくれず「あんたならもっとできる」と鉄壁の笑顔でぼくに迫ってきます。

ぼくはその期待にいつも苦心していました。

「笑顔でのしかかる期待」と「それでもできない自分」

幼いころから良い子だったぼくの喜びは、すなわち両親という名の鏡に映して跳ね返ってきた喜びでしかなかったんです。両親が喜んでくれないとぼくも喜べない。でも上に並べた悩みの数々は、そう簡単に解消されるものではありません。

ぼくは「笑顔でのしかかる期待」と「それでもできない自分」との間で何年も何年も葛藤を演じていたんです。

これほど虚しくつらいことはありません。

期待に応える必要ってありますか?

期待に応えようとする姿勢は大事なのかもしれませんが、ぼくやあなたのように良い子として育った人間は、期待に応えようと思ったら中途半端にはできません。

でも人には向き不向きがあります。できることとできないことがあります。いずれできるようになることでも、いまのレベルではむずかしいことだってある。

そうやって「かけられた期待」「それでもできない自分」との間で葛藤して、限られたエネルギーをどんどん消耗させていては、生活を、人生を楽しむ余裕など残りません。

他人からの期待って、自分の人生や生活をダイナシにしてまで応えなくてはならないものなんでしょうか。

関連本は「戦う哲学者」である中島義道さんの著書「カイン」です。この社会に生きづらさを感じているすべての人に読んでほしい1冊。

 

コメント

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