ニートのためのネコに学ぶメンタルヘルス

ひきこもりニートの声

まいど。

突然だけど、ネコっていいよね。

かわいいし、かといってワンコのように何かを求めては来ない。

ただ好き勝手に行動して、あっちに行ってしまうこともあれば、こっちに来てくれることもある。

ネコを見ていてふと「飼われているネコとひきこもりニートってほとんど同じ境遇なんじゃない?」と思った。

 

  • 黒井もネコも家賃を払わずにこの家で暮らしている。
  • 黒井もネコもこの家の家計から食費を工面してもらっている。

やはり同じ境遇だ。

しかし「メンタル」は大きく異ることが分かった。

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ネコは自由。ニートは不自由。

ネコは自由だ。

ご主人さまであるぼくの両親がよしよしとかわいがっているのに、ひょいとその手を振り払ってどこかへ行ってしまう。

ぼくは両親に呼ばれたら必ず下の階へ行くし、洗濯物を取り込んでくれと言われれば取り込むし、ホットプレートを出してくれと言われればもってくる。

ぼくには「自分は両親のおかげで今日まで生きながらえているのだ」という意識が強い。

そのことについて「ありがたい」と思うこともあれば「申し訳ない」と思うこともあるし、はたまた「自立できないなら死にたい」と思うこともある。

そのため両親には「引け目」を感じている。

だからぼくと両親の関係はいつまでも「絶対的な親と従順な子ども」であり、いつまで経っても「息子と同居している親」と「親と同居している息子」にはなれないでいる。

自立をするためには親と精神的には「対等」にならなければいけないのではないか?

いつまでも親の言いなりでいるのは良くない。

それは「ひきこもりニート」であってもそうだ。

良くも悪くも自分の人生は自分しか生きることができない。自分の立場が扶養家族であってもその事実は変わらない。

自分の人生を生きるための第一歩は、人の言いなりにならず「自分勝手にやること」なのかもしれない。

ネコは居てやってる。ニートは居させてもらってる。

ネコにはどこかふてぶてしさがある。

撫でてやると「もっと撫でなさい」とでも言わんばかりに膝の上にどっしりと落ち着いたりする。

ひょっとするとネコは自分が「飼われている」などとは思っていないのかもしれない。

むしろ真逆で「居てやってる」くらいに思っているのかもしれない。

良心のあるニート(という言葉はなんか変だけど)なら「家に居させてもらっている」という気持ちで、日々を生きていると思う。

働いていないのだし、それくらいの謙虚さで丁度いいような気もするけど、いつもそんなふうに卑下していると自己肯定感が下がる一方だ。

その結果メンタルのバランスをおかしくしてしまい、精神科のお世話になるのでは、ますます家族に迷惑をかけてしまう。

そう考えると余計にネガティブになってしまいそうだから、謙虚なのもほどほどにしたほうがいい。

ネコのように「家に居てやってる」と思ってたっていいだろう。

家に人が居てくれると助かるという場面はいくらだって想像できる。人が居るというだけで空き巣などの被害に遭う可能性はぐっと減るはずだ。

急な雨で洗濯物を取り込みたいときや、人のいない時間帯に電話がかかってきたり宅配物が届く場合にも、家に人が居れば安心だ。

夫婦が共働きをする時代。

家に人が居ると、安心して仕事に出かけることができる。

そんなこともある。

あからさまに「居てやってる」という態度を取る必要はないけど、心の中ではひっそりと「居てやってる」と思っていてもいいのではないだろうか。

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